ヘルニア2カ所、それでも農業で再出発 工夫重ねてリーフレタスに活路


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2カ所のヘルニアを患いながら自分に合った農業でチャンスに巡り合った仲本睦さん=1月27日、北中城村瑞慶覧

 【北中城】2カ所のヘルニアと付き合いながら、自分に合った農業に出合い、試行錯誤する人がいる。北中城村瑞慶覧のなないろファーム代表の仲本睦さん(39)は農業用軽石を使った農業で、県内では夏場の供給に課題がある葉野菜の安定生産に挑んでいる。農業経験ゼロだったが、2年ほどで大手スーパーとの契約も間近だ。福祉の仕事をしていた経験もあり「子どもたちへの食育や地域の社会福祉にも貢献したい」と夢を描く。

 仲本さんは10年ほど介護の仕事をしていたが、腰のヘルニアを発症し続けられなくなった。その後、空調関係の仕事に就いたが、上を向く作業が多く今度は首のヘルニアを患った。満身創痍(そうい)。途方に暮れた。

 それでも前を向いた。亡くなった祖父がランを栽培するために約3300平方メートル(約千坪)のビニールハウスを所有していた。ただ、地面には石が敷き詰められ、一部はコンクリートが張られていた。「ここでもできる農業はないか」。JAおきなわから紹介を受け、農業用の軽石「パミスサンド」を活用した野菜の栽培方法を知り、先行農家で研修を受けた。

 昨年、家族や友人の協力を得ながらハウス内の土台にパイプを組み、腰の高さほどの位置に発泡スチロールを並べ、パミスサンドを敷き詰め、葉野菜の栽培を始めた。水や液肥の供給など管理が難しい面もあるが「首にも腰にもちょうどいい。調子が悪くなってもすぐに治療に行ける」と話した。ヘルニアを患った仲本さんの体にも合っていた。

 リーフレタスやハンダマなど10種類以上を作り、宜野湾市のハッピーモア市場などで販売した。5、6月はブーケレタスがとても人気だったという。家族の協力も得ながらだが、ほぼ一人で管理しているため収穫が追いつかないなど失敗もあった。今では協力する友人・伊禮寿さんが務める沖縄海邦銀行の経営支援サービス「かいぎんビッグアドバンス」を活用し、大手スーパーや飲食チェーン、配食サービスなどとの商談も進んでいる。逆境からチャンスをつかんだ仲本さん。「契約も無理なく、腰にも首にも無理なく働けそう」と笑った。
 (仲村良太)