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首里城再建 32軍壕の記憶継承を<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 1月31日の会見で玉城デニー知事が2019年10月31日に焼失した首里城の城郭内施設の復元などに活用する「首里城復興基金」への寄付金の受け付けを、3月31日で終了すると発表した。<県によると、既存の復興基金には21年12月末時点で約54億8300万円が寄せられた。うち約24億円は、正殿の壁や天井に使う県産材の調達などへの活用が決定している。寄付金の受付終了後は残りの資金を、北殿や南殿など焼失した城郭内施設の復元へ充当する>(1日本紙電子版)。

 首里城再建に関して、中央政府の支援を断る必要はないが、極力、沖縄人の手によって実現したい。なぜなら首里城には、沖縄と沖縄人の統合を示す象徴としての機能があるからだ。

 かつて沖縄に琉球王国という国家があった。この国家は1854年の琉米修好条約、55年の琉仏修好条約、59年の琉蘭修好条約によって、当時の帝国主義列強から国際法の主体であると認知された国家であった。

 79年の琉球処分(沖縄の廃藩置県)以降、日本の中央政府は沖縄で同化政策を進めたが、沖縄人は完全には同化しなかった。沖縄は過去も現在も未来も沖縄人のものである。沖縄の運命は沖縄人によって決められなくてはならない。再建された首里城は、単なる日本の観光地ではなく、沖縄の自己決定権を象徴する建造物になる。

 県は新たに「県首里城歴史文化継承基金(愛称・首里城未来基金)」を創設するという。<具体的には、伝統的建造物の建造や修繕に関する専門知識や技術を有する人材の育成や、歴史・文化的に重要な施設の整備とその他歴史的景観の維持向上を図る。/県議会2月定例会に基金設置条例案を提案し、承認されれば22年4月から寄付を募る>(前掲本紙)

 筆者もこの基金を創ることに賛成する。重要なのは、「歴史・文化的に重要な施設の整備とその他歴史的景観の維持向上を図る」ことに首里城の地下も含むことだ。首里城の地下には沖縄戦の際に第32軍の司令部が置かれた。故大田昌秀氏(元県知事)は、筆者に何度も「首里城の地下にある第32軍の司令部壕の発掘調査をした上で復元し、二度と沖縄を戦場にしないという気持ちを未来の沖縄人に継承しなくてはならない。私は知事の時に実現したかったが、力がそこまで及ばなかった。あなたたちの世代でぜひ実現してほしい」と言われた。

 筆者の母(佐藤安枝、旧姓上江洲)は、久米島で大田氏とは隣の字の出身で、子どもの頃から親しくしていた。母は昭和高等女学校2年生(14歳)の時に陸軍第62師団(石部隊)の軍属となり、軍と行動を共にした。軍命で首里から摩文仁に移動する途中で母は大田氏とすれ違って立ち話をした。「昌秀兄さんは、ひどくおなかを空かしていた。私はリュックの中に米と乾パンと缶詰があったが、人目を気にして昌秀兄さんに渡せなかった」と悔やんでいた。理由を聞くと「食料を渡すと周囲にいた日本兵に昌秀兄さんが、『女から物を恵んでもらうとは何事だ』と殴られると思ったからだ」と母は言った。

 あの戦争に巻き込まれた沖縄人の一人一人が独自の記憶を持っている。第32軍司令部壕は、沖縄のつらい体験を象徴するもう一つの首里城なのである。

(作家、元外務省主任分析官)