石原元都知事の差別発言 賛美のみは歴史改ざん<乗松聡子の眼>


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 2月1日に死去した石原慎太郎元東京都知事について報道各社は賛美ばかりの追悼特集を展開した。その日のNHK「ニュース9」ではキャスターたちが喪服風の黒基調の装いをしていたことには驚いた。客観性を重んじるはずの公共放送のやることだろうか。

 一方、元知事の生前のおぞましい差別発言の数々については、全く触れない記事も多く、触れていても「直言ぶりで知られる」「自由な発言に注目も」「時には差別と糾弾され」といった、半ば差別発言を容認するような表現が目立つ。

 どうして差別を差別とストレートに批判しないのか。書いていて、頭に血が上り、タイプする指が震えるほどの怒りに襲われないのか。それは書く側の多くが、元知事の差別のターゲットにされていない人たち、つまり日本で生まれ育った日本人で、障がい者でも性的少数者でもなく、女性でもない、つまり特権を持ったマジョリティーの一員だからではないか。

 元知事が差別主義者であったという事実を歴史に残す責任がある。2000年4月、陸上自衛隊の催しでのあいさつで「今日の東京を見ると、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している…もし大きな災害が起こった時には、大きな騒(そう)擾(じょう)事件すら想定される」と述べ、自衛隊が出動することにも言及している。

 これは事実に基づかないどころか、1923年の関東大震災後、流言飛語に基づき日本人の官軍民が朝鮮や中国出身の人々らを大量虐殺した事件(一部沖縄出身の人も殺された)を想起させる、日本にいるマイノリティーの人たちにとっては背筋も凍る発言であった。元知事は当時、これを受けた記者会見でさらに「違法に日本に入国し、駐留し、滞在し、そして犯罪を繰り返している、そういう人間たちが、何を起こすか分からない」と、外国人が犯罪者であるとのレッテルを強化するような発言をしている。

 このような政治家が何の社会的代償を払うこともなく再選され、その地位に居座ることを許すような風潮が、昨年3月に入管収容施設で死亡させられたスリランカ人のウィシュマさんをはじめとする、外国人の残酷な人権侵害のまん延を許す社会につながっているのではないか。

 また元知事は40年以上にわたり、水俣病などの難病や障がいを抱える人々の人格を否定する発言も繰り返してきた。昨年7月にはツイッターに「業病(ごうびょう)のALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵され自殺のための身動きも出来ぬ女性」との書き込みをしており、この人の差別意識は人生の終盤まで不変であったことが分かる。このような考えが、19人もの人が殺された相模原障害者施設殺傷事件(2016年)のような事件とつながるのではないか。

 元知事は、性的少数者についても「テレビなんかにも同性愛者が平気で出る」「どこかやっぱり足りない感じがする」(10年)といった発言をしており、女性についても、閉経した女性が生きるのは無駄だとした「ババア」発言(01年)、女性都知事候補に対し「大年増で厚化粧の女」(16年)と言うなどジェンダー差別も甚だしい。

 故人がヘイトスピーチ常習者、レイシスト、ミソジニストであったことの証拠は枚挙にいとまがない。報道各社がここを過小評価することは歴史改ざんとも言え、外国籍の人たち、障がいを持つ人たち、性的少数者などマイノリティーの命を危険にさらす社会が続くことを容認することにもなる。これは一人の故人の評価にとどまる問題ではなく社会全体の人権の問題であるということを強調したい。(「アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス」エディター)