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復帰50年の沖縄報道 絶対量増え反発やヘイトも 新聞論調は沖縄に近づく<山田健太のメディア時評>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
2013年1月27日、オスプレイ配備撤回を求め行進する当時の県内市町村長ら。行進を妨害しようとする団体が「嫌なら日本から出て行け」などの言葉を浴びせる場面も見られた=東京都中央区銀座

 沖縄復帰50年の年を迎え本土メディアも含め様々(さまざま)な特集が組まれている。そこで伝えられている沖縄を、一言でまとめれば「大きく変わったが実は変わっていない」となろうが、これは言論状況にも当てはまる。

 直近の少年失明事件と沖縄署への投石等の抗議行為について、その事実関係はまだ明らかになっていないものの、ネット上では少年の証言は作り話であるとか、自業自得だといった心なき言説が飛び交う。在沖米軍由来のオミクロン株感染拡大に関する玉城デニー知事の「染みだし」発言に対しても、根拠なき米軍批判として非国民呼ばわりする書き込みが多数見られた。

 あきれや怒りを通り越した絶望的な感情にさいなまれる、根強い沖縄差別感情がネット上では渦巻いているということだ。社会的「差別」は一般に、法社会制度上の差別に由来したり、社会慣習や空気の反映であることが多いが、先の名護市長選でみられた米軍再編交付金による一時的な経済振興策は、わかりやすい公的差別の一例でもある。

 本稿では5月に向け、さらに「沖縄」への関心が高まることに比例して、沖縄ヘイトが増加するであろうことを想定し、あらかじめ問題指摘をしておきたい。

四つの時代

 第2次世界大戦後の本土と沖縄の新聞紙面を検証すると、四つの時代に分けることができる(詳細は拙著『沖縄報道』ちくま新書参照)。それぞれ「無理解」(1945~52年)、「軽視・黙殺」(52~2005年)、「政治」(05~15年)、「対立」(15年~)である。いうまでもなく最初の区分は占領(施政)下であり、主権回復を祝う「日本」にとって、切り捨てた沖縄は意識の外にあったということになる。そして復帰の後も、東京から1500キロ離れた沖縄の事件・事故は、本土にとっては関心の対象外の時代が続く。その象徴例は04年沖縄国際大学へのヘリ墜落時、東京でほとんどニュースにならなかったことからも明らかだ。

 しかしその後、沖縄のニュースが全国化することになる。端的に言えばそれは政治問題化したからである。沖縄戦をめぐる教科書検定問題で、大規模な県民集会が開催されたことはまだ記憶に新しいが、本土においてはその県民の怒りがニュースではなく、沖縄でもめていて政府が困ったことになっているという政治課題として大きな報道がなされたということになる。

 報道の絶対量が増えたことで、多くの人にとって沖縄が意識されることになったし、「沖縄で起きていること」への関心も高まったという点では大きなプラスであったと言えよう。一方で、批判や反発も高まる結果を生み、政府・政治家の沖縄攻撃が強まるとともに、それに呼応して沖縄ヘイトが生まれるという構図が生まれたとみられる。
 

攻撃対象に

 しかも不幸なことに、2000年前後からの歴史の見直しや日米同盟強化の動きと重なり、こうした政府方針にあらがう沖縄県(民)を日本社会にとって「異質なもの」として排除する対象とする風潮が生まれた。さらに2010年以降は、ヘイトスピーチが市民権を得た時期でもある。在特会を中心とする在日コリアンをターゲットした街宣行動やネットを利用した差別言動が瞬く間に広まった。

 社会的マイノリティーや弱い立場に向けられた攻撃対象は、その時々によって変化しつつも、残念ながら沖縄県民や抗議活動は今日に至るまでその対象になり続けている。13年オスプレイ強制配備反対の県内首長による建白書銀座デモに浴びせかけられた罵詈雑言(ばりぞうごん)は、その象徴例であった。

 また社会全般に安定志向が浸透するなか、被差別当事者からの声を誇張された被害者意識であるとか、政府等への施策にギャーギャー反対しているだけで生産的でないとして否定する空気も強まっている。これが沖縄差別実態の根底に流れていることは否定できないだろう。

 そうしたなかで、沖縄メディアは変わっている、あるいはより明確に偏向報道だという言説も広がった。これも他の県紙の紙面作りと比較して、根拠なき嘘(うそ)であることは検証済みである。そうしたなか、「普天間には人が住んでいなかった」といったデマに基づく「神話」が力を持つようになった。これらを後押ししたのは、政治家であり有名人であり、そして米軍である。

新聞論調の変化

 しかし前述したように、関心の増大は明らかに日本全体の空気を変えつつある。それを新聞論調から確認しておこう。たとえば辺野古新基地建設に絞ってみても、20年前の全国50弱の新聞の基調は、(1)国家安全保障上やむなし(2)県民のわがまま・県の責任(3)唯一の選択肢(4)後戻りできず―で、沖縄メディアはほぼ孤立無援状態であった。

 それが今日では、(1)はごく一部の新聞を除き「民意の尊重」をうたうまでになっているし、(2)についても多くの新聞は「国の責任」としている。(3)についても「他の現実的可能性」を指摘する論調が目立ち、さらに(4)では「即時中止」と明言する新聞が出てきている。まさに、沖縄の立場にぐっと近づいているということだ。沖縄「神話」の虚構が露呈しているのと同様、明らかに本土の空気にも変化がみられている。

 ただし一方で、こうした変化や前述の四つの時代区分に重なるようにして明らかになりつつある状況が、07年以降の「主張」から18年の県知事交代以降の「分断」への変化だ。実際の工事完成は政府の楽観的な見通しでさえ30年後で、実質的には完成見込みはないにもかかわらず、止まらない基地建設への既視感は広がっている。また、日本経済の縮図ともいえる沖縄経済の停滞にコロナが追い打ちをかけている状況がある。

 そうしたなかで、原発(エネルギー政策)や米軍基地(日米地位協定)といった国策に関し、かたくなに対話を拒否する政府の姿勢に押され、あるいは労働組合までをも巻き込んだ経済界の強いプレッシャーの中で、沖縄ヘイトのバッククラッシュが起きやすい要因がそろってきているということになる。戦後日本の言論状況は、約20年ごとに「構築期・躍動期・挟撃期(権力と市民の双方からメディアが攻撃されるという意味)・忖度(そんたく)期」というキーワードでまとめることが可能だ。

 05年以降現在も続く「忖度」状況に対してぶれることなく、沖縄に軍事施設を押し付けられ続ける現実と、その構造的な不均衡の問題点を伝えていくことで、「分断」を乗り越えていきたいと思う。

 (専修大学教授・言論法)


 本連載の過去記事は『愚かな風』『見張塔からずっと』(いずれも田畑書店)で読めます。