屋良朝苗さん没後25年 沖縄県出身者ら追悼式 復帰、広島で問う 「平和な沖縄を」思い刻む


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屋良朝苗さんの没後25年の追悼式典を企画した嘉陽礼文さん(前列左端)と中村盛博さん(同3人目)ら=13日、広島市のRCC文化センター(提供)

 沖縄の日本復帰に尽力した元琉球政府主席で、復帰後の初代県知事を務めた屋良朝苗さんの没後25年の節目を前にした13日、広島県で県出身者が企画した追悼式典と関連の写真資料展が行われた。広島大学関係者や県出身者らが参加。参加者は屋良さんの功績に思いをはせつつ、「完全復帰には程遠い」と復帰後も米軍基地の過重負担が強いられる沖縄の現状を問い掛けた。

 屋良さんは広島大の前身、広島高等師範学校の卒業生。沖縄教職員会(県教職員組合=沖教組の前身)会長として復帰運動をけん引した。初の主席公選で米軍基地の「即時・無条件・全面返還」を掲げて当選、就任後も復帰時の要求として日米両政府に訴え続けた。1997年2月14日に94歳で亡くなった。

 式典は、広島大大学院生で同大職員でもある嘉陽礼文さん(43)=浦添市出身=が復帰前後の沖縄について多くの人に知ってもらい、後世に引き継ごうと企画した。

 会場には復帰運動に力を注ぐ屋良さんの写真15枚のほか、沖縄教職員会などが講演会のために58年に招待した広島大初代学長の森戸辰男さんの写真80枚も展示した。

 森戸さんは「屋良朝苗日記」にもたびたび登場しており、屋良さんは68年3月7日の森戸さんとの面談について「主席公選問題について味のある御意見があった」と記していた。

 追悼式典では参加者が黙とうし、広島沖縄県人会の中村盛博顧問が三線で「述懐節」をささげた。

 中城村出身の中村さんは68年に広島大に入学。沖縄問題を研究するサークルに入り、その年の主席公選に合わせて沖縄が求める「即時・無条件・全面返還」が実現するよう署名を集めたという。

 復帰後の沖縄の将来像を示した「建議書」を携えた屋良さんが東京に到着する直前、復帰後も米軍基地が残されることを前提とした沖縄返還協定が衆院特別委員会で強行採決されたことを振り返り、「そういう返還なので祝うことはできないというのが本当の気持ち。50年たつが本当に良くなったのか。完全復帰には程遠いのではないか。広島の方々にも沖縄のことをぜひ知ってほしい」と思いを込めた。

 嘉陽さんは沖縄が米統治下から復帰してからも、米軍基地に起因した事件事故が繰り返されている現状を憂いながら「平和な沖縄を願って力を尽くされた屋良先生、森戸先生の功績をたたえたい」と語った。 (仲村良太)