「2060年に人口5500人」目標に壁…住宅政策が進まない理由 国頭村・下<人口減社会を生きる>6


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1970年代に住民が住まなくなった国頭村の「我地集落」跡で、栄えていた当時を振り返る元住民の徳元功さん=2021年12月11日、国頭村

 国頭村楚洲と安田の真ん中、海岸沿いにある小さな滝の脇に、この地を離れた住民らが建立した碑がある。

 「山姫の 手引なるらむ 打ちはえて 嶺よりかかる 滝の白糸」

 碑文は、1881年から、第2代県令として2年間在職した上杉茂憲が県内各地を視察した記録「上杉県令巡回日誌」で、我地タチガー(滝)について詠んだ句だ。日誌は風光明媚(めいび)な我地海岸の美しさも記している。

 我地タチガーのある我地集落は、1970年代に居住者がなくなった「消えた集落」だ。1890年に本部町や泡瀬(沖縄市)、与那原町などから移住した人々が、建築資材やまき、木炭などに使用される木材を切り出す林業で栄え、海浜には共同店もあった。最盛期には100人以上、約20世帯の住民が住んでいたとの記録もある。

 中学1年の夏まで、我地に住んでいたという徳元功さん(78)=沖縄市=は「林業の需要が減退し、仕事がなくなったことで、多くの人が本島中部に移住した」と話す。我地は現在、県道70号からの集落入口は個人所有の牧場となり、人の行き来はほとんどない。徳元さんら、当時の住民がセカンドハウスを建てて、碑の管理や農作業をしている。

 本島最北の国頭村の人口は、第1次ベビーブームの団塊世代が出生した1950年の1万2千人をピークに減少を続け、2020年には4517人まで落ち込んだ。

 日本復帰直前の1970年比でも38・3%の人口減など、過去30年間の人口動態はほとんどの年で自然減、社会減が続き少子高齢化は著しい。国立社会保障・人口問題研究所の推計では2030年に人口3千人台となる見通しだ。

 村は「人口ビジョン・総合戦略」で、2060年の目標人口を5500人と定めている。村は住宅政策を強化し、過疎債などを活用しながら、宅地造成を進めることで定住条件の整備を進める。

 ただ、森林が多く、まとまった平地がない村特有の事情もあり、大規模な宅地開発には至っていない。空き家の改修も進めるが、位牌(いはい)や仏壇を残しており、賃貸や売却が進まないという。空き家の改修予算や取り壊す国の補助メニューもなく、村単独での支出は財政的にも厳しい状況だ。

 村はワーケーションやスポーツコンベンションなどに注力するなど、都市部に住みながら継続して地域に関わる人々を指す「関係人口」の獲得に向けた施策に力を入れる構えだ。

 宮城明正副村長は「急激な流入増などは期待できないと思うが、少しずつ進めていくしかない。定住条件の整備と国頭村を全国に知ってもらう雰囲気づくりも進めていかなければならない」と語る。

 産業を興し、定住人口・関係人口の増加に向けた取り組みが実を結ぶことができるのか。人口減少を巡る試行錯誤は既に始まっている。

(池田哲平)