ロシア人研究の重要性 冷静な情勢分析が必要<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 私事で恐縮だが、筆者は前立腺がんの手術で8日から22日まで東京都内の大学病院に入院する。手術は10日で前立腺を全摘するので全身麻酔で行われる。手術後、2、3日は原稿を書けるような状態でないと思うので、本稿は7日に書いている。

 ロシアがウクライナに侵攻した後、東西冷戦終結後のロシア観は改めなくてはならない。ロシアは日本にとって現実的な脅威になった。現在、日本のマスメディアは、当然のことであるがウクライナに同情的になり、ロシアたたきが進行している。ウクライナに対して少しでも批判的な発言をすると、インターネット空間ではバッシングの対象になるという状態だ。

 またロシアの論理を解説するだけでも「ロシア寄りだ」と大きな反発を受ける。このような現状は危険だ。情勢分析は、心情や価値判断をいったん、括弧の中に入れて冷静に行わなくてはならない。

 筆者は、ロシアに対する経済制裁でプーチン政権が倒れることもないし、ウクライナ政策を軟化させることもないと見ている。その前提となるのが、ロシアの民衆の不思議な権力者観である。

 普段は「プーチンは強権的だ」「いつまでも同じやつが大統領なのは飽き飽きした」「プーチンがクリミアを併合したりするものだから、制裁を受け、苦しい政策が続く」と言っている人たちが、外国人がプーチン氏を非難すると、「わが大統領を侮辱するな」と食ってかかってくる。

 家の中で父親の悪口を言っていても、外で家族以外の者がら「お前の父親はひどい人間だ」と言われると不愉快になるのに似ている。経済制裁で国民生活が厳しくなるとその怒りは、プーチン政権に対してよりも、制裁をかけている国とその指導者に対して向かう。そして、外国に依存せずに国内で国民生活に必要な物資を生産すべきだという機運が高まる。

 太平洋戦争が始まると日本人は「鬼畜米英」のスローガンで、ルーズベルト大統領やチャーチル首相のわら人形に竹やりを突き刺して、戦意を高揚させた。戦時中、昭和高等女学校の生徒だった評者の母(佐藤安枝、旧姓上江洲)も、ルーズベルトのわら人形を竹やりで突いた経験があると言っていた。しかし、そのような形で士気を高めても、圧倒的な生産力の差がある日本が米国に勝つことは不可能だった。沖縄戦の結果が戦争の現実を示している。

 対して米国は、文化人類学者を集めて日本人研究を行った。この報告書を基にしてルース・ベネディクトは日本人論の古典である「菊と刀」を書いた。また沖縄人研究のプロジェクトが別途組まれ、その結果は「民事ハンドブック」にまとめられている。「民事ハンドブック」の研究成果を米国は沖縄戦だけでなく戦後の沖縄統治においても活用した。

 日本の対ロシア政策の転換は、安全保障の構造を変化させる。当然それは沖縄の軍事的位置付けの変化をもたらす。ロシア問題が沖縄と沖縄人の運命に影響を与えることを意識しつつ、筆者は日本にとって脅威となるロシアの論理と思考を琉球新報の読者と共有したいと考えている。 

(作家、元外務省主任分析官)