松田喜々「沖縄でも強くなれる」壁に挑んで世界へ クライミング日本代表つかむまで


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競技への思いを語る松田喜々
ジムでトレーニングに励む松田喜々=2日、宜野湾市伊佐のロッククライミングジム「コルピキ」(ジャン松元撮影)

 そびえ立つ壁を登る達成感に魅了されて10年。スポーツクライミング女子の松田喜々(24)が、目標としてきた日本代表の座を「リード」種目でつかみ取った。リードの公式戦では12メートル以上の高さの壁が必要。県外の都市圏に比べ競技環境では劣る。それでも「沖縄でも強くなれる」を合言葉に練習拠点のジム「コルピキ」(宜野湾市伊佐)で腕を磨き、快挙を成し遂げた。

 クライミングには5メートル以下の壁に設定された複数ルートを制限時間内にいくつ完登できたかを競う「ボルダリング」、制限時間内に登った高さを競う「リード」、世界共通のルートを登る速さを競う「スピード」の3種目がある。松田はボルダリングを中心に取り組んでいるため、内定の連絡を受けた時は「リードが先に決まると思ってなくて、正直びっくりした」とうれしそうに振り返る。

 筋力、持久力が向上

 代表入りの決め手となったのは、年間ツアーの上位選手らが出場する2月のリードジャパンカップ(LJC)だ。3年連続で出場し、これまでの最高成績は一昨年の37位だったが、初めて26位以上が条件となる予選突破を果たした。

 迎えた準決勝。傾斜が厳しくなる中盤すぎ。意外なことに「高い所が得意じゃない」という松田は「焦ってやった動きで、たまたまいい道を見つけた」。通常は多くの選手が足を掛けるホールド(突起物)を偶然に手でつかんだことで、登るためにより短いコースを進むことになり、12位でフィニッシュした。初の日本代表選出は「本当に運が良かった」と言うが、新たなステージに挑むチャンスを手繰り寄せた背景には、鍛錬の積み重ねがあった。

 昨春名桜大を卒業後、競技専念を決意。練習は夜が中心だったが、現在はコルピキでスタッフとして働きながら週に4~5日、朝は体幹トレーニングやランニングなどで体づくりを行い、夜に実戦練習を積む。「(LJCで)運良く見つけた登り方も去年ならできなかった動き」と筋力や持久力の向上を実感している。LJCの1週間前にあったボルダリングジャパンカップでも初めて準決勝に進出して過去最高の14位。進化が結果に表れている。

 沖縄のパイオニアに

 琉大付属中3年の時に三つ上の兄・陽馬さんが競技を始め、家から徒歩5分のジムで練習していた。もともと木登りが好きだったという松田も「ルンルンで行っていた」と通い始めた。首里高で同好会を立ち上げ、国体にも出場した。「魅力は完登した時の達成感。同じ課題でも人によって動きが違うのも奥が深い」。やればやるほど、深みにはまっていった。

 コルピキがオープンした6年前から練習法を助言するオーナーの池原亮さん(46)は「前は体重が軽くて手の力で上がっていたけど、今は背筋など土台が強くなった」と評価する。常連客とも日々練習を共にし、松田は「いろんな分野で強い人がいてサポートしてくれる」と感謝を口にする。

 沖縄は県外より練習場や大会が少ない不利性はあるが、周囲に恵まれ「この環境が自分に適している」と県内拠点にこだわる。大会のたびに空路を使うため経費面も厳しい。現在スポンサー探しに注力しており、活躍の場を広げるために精力的に活動を続ける。

 4月には代表合宿が始まる予定。「本格的にリードの練習をしたことがないから、初めてのことに挑戦する感覚。高いレベルの中で苦手な部分を克服したい」と成長を誓う。「沖縄のパイオニアになりたい」と強い決意をのぞかせる気鋭のクライマーの世界への挑戦が始まる。
 (長嶺真輝)