復帰直前の沖縄〈50年前きょうの1面〉3月19日「復帰前の360円交換、まったく不可能」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。  

 

 1972年3月19日の琉球新報1面トップは、那覇市内での殺人事件で少年が逮捕された事案を大きく取り上げている。

 2番手の左肩には、「復帰前の360円交換/まったく不可能/水田蔵相、実質的解決に努力」との見出しで、衆院予算委員会で水田大蔵大臣が答弁した内容を報じている。復帰に際して沖縄側では、ドル―円の通貨切り替えに伴う交換レートを1ドル=360円とするよう求めているが、それに対して政府が不可能だと断じたものだ。一方でその隣に、官房長官が「復帰前切り替え」と明言した記事も併設している。

 復帰に伴い大量解雇が示されている基地労働者の処遇に関して全軍労が抗議してストを続けていることに関連し「問題点の検討後団交/民政官/全軍労問題で語る」との見出しで、屋良朝苗主席の要請を受けた米民政府のフィアリー民政官が、「東京で検討中」と回答したことを報じている。さらにはフィアリー民政官は「ストが長びくにつれて事件が多発している。このままだとさらに衝突事件がふえかねないので、事件が想定される場所の警備を強化してほしい。また全軍労支援に過激派分子が入り込まないよう全軍労幹部に指導してほしい」と逆に陽性したことも伝えている。

 

 

 

 

 

  

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。