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集中治療室でロシアの侵攻に思い巡らす<佐藤優のウチナー評論>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
佐藤優氏

 筆者は、東京都内の大学病院で10日に前立腺がん(全摘)の手術を受けた。本紙読者からもたくさんのお見舞いや激励の手紙、はがき、メール、電話をいただいた。この場を借りて感謝申し上げる。大きな手術を受けたのは初めての経験だ。手術室には午前8時40分ごろに入ったが、麻酔をかけられた瞬間に意識を失い、「佐藤さん、佐藤さん、終わりましたよ」と声を掛けられたときに時計を見ると針が午後1時13分を指していた。

 「移動しますよ」と声を掛けられてストレッチャーに移された。意識はもうろうとしていたが、下腹部に激痛が走った。その後は天井しか見えず、不安な気持ちのまま、自動ドアを抜けて、集中治療室(ICU)に入った。ICUには翌11日昼前までいたが、このとき献身的に世話してくださった3人の看護師さんのことを筆者は一生忘れない。

 最初に担当した看護師さんが「よく頑張りましたね。心配なことがあったら何でも言ってね」と声を掛けてくださり、鎮痛ポンプの使い方を教えてくれた。これで痛みへの不安がだいぶ軽減された。それから、筆者が見える所に時計を移動した。時間の経過が分かることも安心材料になった。3時間くらいたったところで、クッションを移動して身体の向きを変えてくれた。身体が思うように動かない患者にとっては、とてもありがたい配慮だ。

 結局、痛みと不安で一睡もできなかったが、時計を見ながら、記憶を整理し、構想をまとめることができたので、有意義な一晩になった。主に思いを巡らしていたのは、ロシアの侵攻で、自らのアイデンティティーをウクライナ人かロシア人かどちらかに選択することを余儀なくされたウクライナに居住するロシア系住民のことだ。

 どちらを選択しても、昨日まで同胞となっていた人々と殺し合うことになるというのがこの瞬間のウクライナで起きている現実だ。沖縄にルーツを持つ我々が、沖縄人か日本人かの二者択一を迫られるような環境を作らないことが死活的に重要だともうろうとする意識の中で考えた。

 夜勤担当の看護師さんにもとてもお世話になった。ICUでの夜勤がハードワークであるのを目の当たりにした。患者心理として、痛みや不安は、夜間に強まる。筆者も午後9時と午前4時半に痛みが耐えられなくなり、痛み止めの点滴をしてもらった。筆者が「ロボット手術で、たいして大きくない傷なのに、情けないです」と言うと看護師さんから「そんなことはないですよ。筋肉を切った痛みは本当に大変です。先生(執刀医)から追加的な痛み止めの点滴について指示を受けているので、遠慮しないで痛いと言ってください」との応答があった。

 11日の午前8時過ぎに、担当が日勤の看護師さんに替わった。筆者が汗をだいぶかいて、背中や腕にかゆみが出ているのを見て、温かいタオルで全身を拭き、局部はお湯で洗ってくれた。これで生き返る思いがした。また手術着からパジャマに着替えるのも、身体が思うように動かず、どうなることかと思ったが、看護師さんの指示通りにベッドの上で向きを変え、袖を通すと不可能と思えた着替えが可能になった。職人芸だった。

 ICUを出るときに看護師さんから「眠れなかったんじゃないですか。ICUでのうめき声がトラウマになると言う人も時々います」と言うので「私は全然気になりませんでした。それよりも3人の看護師さんに本当によくしてもらい感謝しています」と答えた。

 コロナ禍で医療現場は過重な負担を負わされている。その中で若い看護師さんが職業的良心に従い、誇りを持って働いている姿を目の当たりにしてうれしくなった。名桜大学で筆者の講義を受けた看護学科の学生たちも、今頃、医療現場で献身的に活躍しているのであろうと思った。

(作家・元外務省主任分析官)