復帰直前の沖縄〈50年前きょうの1面〉3月24日「那覇空港 完全返還不可能に」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。  

 

 1972年3月24日の琉球新報1面トップは、「ついに無期限ストに突入/全軍労支援の輪広がる/ここ一週間がヤマ/日米琉、政治的解決に動く/高等弁務官が示唆、受諾できる解決策を検討」との見出しで、復帰に伴う雇用問題で全軍労の無期限ストが始まったことを伝えている。関連記事で「政治解決申し入れ/安里、喜屋武両議員」との見出しで、国会議員も米民政府に全軍労のストへの対応を模索する動きを紹介している。

 2番手の左肩には「那覇空港、完全返還不可能に/〝目玉商品〟に打撃/P3移駐費、暫定計上を断念」の見出しで、復帰に伴う那覇空港の返還に暗雲がたちこめている状況を伝えている。那覇空港の返還には米軍が使っていた那覇空港のP3対潜哨戒機を普天間飛行場へ移駐させることが条件だが、その移駐に伴う費用を日本政府が予算案に計上できなくなったため。記事では「政府は〝完全返還〟をPRして沖縄返還の目玉商品にしてきただけに、大きな打撃を受けるものとみられる。また福田外相はこれまでの国会答弁で『返還時には那覇空港はきれいにして返す』と再三述べてきたところから、〝食言問題〟として野党の追及を浴びそうだ」と記している。

 尖閣諸島を巡って米国が「尖閣列島の主権については関与しない」との見解を示していたことについて、佐藤栄作首相が初めて言及し「不満だ」と見解を示したことを伝える記事も掲載している。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

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 琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。