医療的ケア児、孤立深める親たち…相談できず収入激減 支援拠点、早期設置望む声


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特別支援学校の入学式で笑顔を見せる大城雅美さんと長男の羚桜君=2020年5月、八重瀬町

 医療的ケア児支援法が昨年施行され、全国各地で相談対応や交流の拠点となる支援センターの整備が進み始めた。孤独感にさいなまれる家族が多く、状況の改善が期待される一方、態勢が整わない市区町村もあり、課題を残している。

情報収集難しく

 「相談できず、追い詰められている親は多い」。豊見城市の大城雅美さん(44)は4人の子どもを1人で育てる。長男の羚桜(れお)君(8)には脳性まひがあり、肢体不自由だ。

 退院後、放り出された気持ちになった。週6日働いており、情報収集も難しい。「ケア児になった時点で、どんな支援が利用できるのか市や病院は教えてほしかった」。羚桜君は特別支援学校に通っているが、入学後約2カ月間、たんの吸引などでの注意点を学校にいる看護師に伝えるため、付き添うよう求められた。仕事を休まざるを得ず、収入は激減した。

 センターには、あらゆる相談を受け止め、病院や学校と情報を共有しながら支援制度への橋渡しが期待される。沖縄県は設置を検討している段階だ。「ケア児の親だからこその悩みは多い。早く設置して負担を軽くしてほしい」と願う。

安心感

 一方、岐阜県は2015年、岐阜市に重症心身障がい在宅支援センター「みらい」を開設。現在は医療的ケア児支援センターも兼ねる。3カ所に支所を置き、看護師が相談に乗る。医療、福祉、行政の関係者が集まる研修会などで、多職種の連携や人材育成に取り組んできた。

 同県恵那市の渡辺大樹さん(39)と優さん(38)夫妻の次男剛樹ちゃん(4)は気管を切開し、呼吸しやすくする器具を喉に付けている。日中は1時間に1回たんの吸引が必要だ。優さんは「窓口があるだけで安心感がある」と話す。みらいの交流会に参加し、他の家族や医療職、自治体職員とつながり、情報収集に役立ててきた。

責務

 センターの助言を受けた後、親は保育所などの窓口となる市区町村とやりとりする。剛樹ちゃんの場合、恵那市の市立保育所を利用しようとしたが、市はケアに携わる職員を確保できないと回答。センターも市に働き掛けたが、受け入れが決まるまで3年かかり、優さんは看護師の仕事を一時、辞めざるを得なかった。

 支援法は、国や自治体に支援の責務があると定める。みらいで開設当初から働く看護師市川百香里さん(60)は「対応に地域差があり、こぼれ落ちる子がいる」と漏らす。「『センターに任せればいい』と言う人もいるが、市町村が何もしなくていいわけではない」と訴え、市町村を巻き込む仕組み作りを国に求めた。

(共同通信)