復帰直前の沖縄〈50年前きょうの1面〉4月6日「記者逮捕に広がる批判/知る権利への挑戦」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。  

 1972年4月6日の琉球新報1面トップは、「記者逮捕に広がる批判/外務省機密文書漏えい事件/知る権利への挑戦/野党徹底追及の構え/与党内部にも批判」との見出しで、沖縄返還密約のやりとりがわかる外務省の機密文書が国会で暴露された件で新聞記者と外務省の秘書が国家公務員法違反容疑で逮捕されたことについて、国会での佐藤栄作首相の答弁や野党の追及のほか、国民の間で批判が高まっている様子などを報じている。記事では佐藤首相が「報道の自由といっても政府にも秘密がある。内証にしているものを無理やり取って、それが取材の自由だといわれても困る。おのずから限界がある」と述べた様子を「むしろ開き直って切り返した」と紹介している。さらに「首相は記者団から『われわれも記者と同じようにしている。逮捕は納得できない』などと質問されたのに対し『そんなことをいわない方がよい。引っ張られるぞ』とおどすような発現をした」とも報じられている。

 関連記事では「マスコミ共闘が抗議」との見出しで、新聞と放送、出版、広告などマスコミ関係8団体でつくるマスコミ関連産業労組共闘会議が「国民の言論、報道の自由と知る権利に真っ向から挑戦するものだ」との緊急声明を発表したことを紹介している。さらに新聞労連も「真実の報道への弾圧」と抗議声明を出したことを伝え、声明の要旨も掲載している。

 沖縄戦時の日本軍による久米島での住民虐殺事件を巡って、当時の鹿山元隊長が「当時の指揮官として最善を尽くした」と発言したことが国会でも取り上げられた。「久米島虐殺事件/方法があれば検討/首相、遺族救済で答弁」との記事は、衆院予算委員会で佐藤栄作首相が遺族からの聞き取りを求めた質問に対し「遺族をいくらかでも慰めることができるものがあれば検討したい」と答えたことを紹介している。

 さらには佐藤首相は「山中総務長官から報告を受けた。怒られるのは理解できる。しかし、この場で、どうするか答えられんが、遺族に心からおわびを申しあげると共に、いくらかでも慰められることができるものがあれば検討したい」と述べている。

 一方で隣接の記事では「救済、法的には不可能/辻刑事局長、瀬長氏に語る」との見出しで、首相が検討を口にした遺族救済の可能性について、法務省の刑事局長が可能性を否定する答弁を国会でしていることも記されている。

 復帰に伴う自衛隊の沖縄配備に関連して、自衛隊の資材搬入を強行して地元の反発を招いたこともあり陸自の配備計画が遅れることになっている一方で、海自も配備の遅れが生じる事態となっている。「〝海自〟も移駐延期/『沖縄準備室』の開設遅れる」との見出しの記事では「海上自衛隊佐世保地方総監部『沖縄準備室』は具体的に動きがなく、開設は延期されている」と伝えている。総監部の話として「予算審議の混乱、その他中央情勢の変化のため」と話している。

 

 

 

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 琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。