復帰運動を問い直す 南風原でフォーラム 嬉野さんら登壇


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 仲井間 郁江
県内外で沖縄の復帰運動を撮り続けた嬉野京子さん=9日、南風原町喜屋武の南風原文化センター

 「学生運動、南灯寮、沖縄研究」を主題に、沖縄の本土復帰を考えるフォーラムが9日、南風原文化センターで開かれた。写真家の嬉野京子さんや映像批評家の仲里効さんが登壇し、それぞれの記憶や思いを参加者と共有した。

 嬉野さんは米軍統治下の沖縄の現状を本土の人に伝えたいと、1965年4月の祖国復帰行進を記録するため来沖した。ベトナム戦争が本格化し、影響が沖縄に広がっていた。
 
 復帰行進では宜野座村の漢那小学校正門近くで、米軍車両によって少女がひき殺された現場に遭遇。カメラを取り出そうとすると、行進団のメンバーに「あなたの命が危ない」と止められた。

 撮らないと沖縄の実情は伝わらない―。フィルムを行進団に預ける条件で撮影の許可を得て、メンバーの背後からシャッターを切った。東京に帰った後、嬉野さんの元に写真が届き、共同通信が世界に発信した。

 後に嬉野さんが撮影する間、行進団メンバーが米兵の気を引いていたことにも気付かされた。「私が撮ったというよりも、沖縄の人たちが撮った写真だ」と語った。

 会場は、復帰運動で米軍政への抵抗のシンボルとされた日の丸についての議論で盛り上がった。
 
 仲里さんは復帰運動のさなか、学校では標準語教育や国民教育に力点が置かれたと説明。復帰運動の中心を担った教諭らが、戦前に受けた皇民化教育を戦後の反米の文脈に作り直していったのが、沖縄の復帰運動の原点だと説いた。

 その上で、復帰運動は日本の戦後再編や沖縄の返還をてこにして、基地をアジア的に再編する動きを下支えするナショナリズムの構造にあったことを踏まえ、「自己否定的に考えることで沖縄の事実の在り方を問い直さなければならない」と話した。
  
 (比嘉璃子)