「自衛隊」配備で生まれた分断 医療とミサイル、島民ら思い複雑 宮古島<駐屯50年「自衛隊」と沖縄>④


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宮古空港に面する交差点に設置されたのぼりと横断幕=19日午後、宮古島市平良

 宮古島の玄関口、宮古空港に面する交差点に、相反する主張が描かれた横断幕とのぼりがはためく。「ミサイル基地いらない」「ワイドー(頑張れ)自衛隊」。設置したのはいずれも島民だ。東京から約1800キロ離れた小さな離島は今、国防の名の下に島民の分断が生まれている。

 宮古島市では市上野に陸・空の自衛隊部隊が配備される。空自分屯基地は戦中、日本軍先島集団司令部が置かれ、戦後は米軍レーダー部隊が配備された。本土復帰の1972年に空自分屯基地になった。

 空自に比べ、陸自駐屯地の歴史は浅い。国は2000年代に入って配備を計画した。16年に当時の市長が受け入れを表明すると、反対する市民の抗議が続く中で計画を強行し、19年に宮古警備隊を配備。20年には地対空誘導弾(ミサイル)・地対艦誘導弾部隊も配備された。21年には保良訓練場(弾薬庫)に弾薬も搬入した。

 「自衛隊には関心がなかった」。市平良の40代男性は語る。生まれた時から空自があった。その必要性が話題に上ることもない。「何か被害があるわけでもないし、興味がなかった」。しかし、今は「必要だ」と思う。国が唱える尖閣問題や台湾有事など「国防」を考えたわけではない。

 昨年、島でコロナ感染が急拡大した。自衛隊員が医療支援に入り、自衛隊機が重症者を沖縄本島に搬送した。「運ばれたのは高齢者や乳幼児だった」。自身も2人の子がいる。「子どもの命が危ない時に自衛隊がいなければ守れないのでは」と危機感を持った。「武器が持ち込まれたことに違和感はある。だけど離島に暮らす身として、自衛隊は必要だ」

 陸自駐屯地から道一つ隔てた畑でメロンを栽培する仲里成繁さん(68)は、「ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会」代表を務める。19年、畑の目と鼻の先に「基地」ができた。「何を置いてどんなことをするのか。聞いても国はきちんと答えてくれない」と道の向こうを見やる。

 自衛隊に反対しているわけではない。「武器を島に持ち込むな、標的にされるような武力を置くなと言ってる。ミサイル基地に反対している」と強調する。

 医療や災害時の役割には理解を示す。一方で宮古島においての自衛隊は国土防衛のための配備で、「軍隊の側面が強い。島民は守らない」と感じている。「国策が県民の命と人権をないがしろにしている。復帰前と変わらない沖縄の現状だ」
 (佐野真慈)