沖縄の声を伝え続ける 古川峻(中部報道グループ)


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written by 古川峻(中部報道グループ)

 『気流の鳴る音』などの著作で知られる、東大名誉教授で社会学者の見田宗介さんが1日、亡くなった。見田さんは1972年5月、『オキナワの声』という短いエッセーを書いている。「新聞の小さな三面記事にでも、ときにはひとりの人間の生涯がぬりこめられており、ときにはひとつの時代の総体が凝縮されている」。こう始まる文章で見田さんは「東京タワー・ジャック」という事件記事を取り上げている。

 1970年7月8日、東京タワーで男性が包丁をかざし、米国人らを人質にとった。間もなく逮捕された本部町出身の富村順一さんは「日本人よ、沖縄のことに口を出すな」「アメリカは沖縄から出ていけ」などと叫んでいたという。沖縄の現状を伝えようとするたびに暴力的に抑圧された末の事件だった。

 見田さんは72年5月14日、テレビで見た復帰前夜のまちを「花やいだ空気の一片もなく、ひっそりとおし黙っていた」と表現した。そして、「心の中で静かにこの喜びをかみしめている」とした本土メディアの身勝手な解説を、「恥ずかしさに顔のほてる思いで私は聞いていた」とつづった。

 うるま市担当になって3週間余り。米軍の津堅島訓練場水域では地元の反対にもかかわらずパラシュート降下訓練が続く。勝連半島沖では、米軍ヘリが荷物をつり下げて飛行した。いずれも漁船が航行する水域だ。

 間もなく復帰50年。さまざまな考えはあるのだろうが、根底では沖縄の現状は半世紀前と変わっていないように見え、がくぜんとする。それにもかかわらず、沖縄の声を伝え続けたい。声は事実として残り続け、ときには歴史に穴をうがつこともあるからだ。

(うるま市担当)


ゆんたくあっちゃー 県内各地を駆け回る地方記者。取材を通して日々感じることや裏話などを紹介する。