「自治は神話」「基地は第一作物」「撤去でイモとはだし」…米施政権下の高等弁務官の発言の数々<対日講話条約70年>


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星条旗(資料写真)

 米施政権下の沖縄で最高権力者として在籍した高等弁務官は、県民による自治を否定し、とりわけ経済的な側面から基地の必要性についてあらゆる場面で説き、その発言は「県民蔑視」とも捉えられた。1972年の日本復帰後に就任した歴代の県知事は、県民の主権回復や自立型経済の構築に向けて、強いメッセージを発してきた。

 3代目の高等弁務官に就任したキャラウェイは63年3月の演説で「自治は神話であり存在しない。琉球が再び独立国にならないかぎり不可能」などと発言した。

 この発言を引用し、基地建設を強行する政府を批判したのが2014年に就任した翁長雄志知事だった。基地問題を担当する菅義偉官房長官(当時)との初会談となった15年4月、菅氏に対して「自治は神話だと発言したキャラウェイ高等弁務官に重なる」と痛烈に批判。新基地建設断念を求める県民大会では「沖縄人をないがしろにしてはいけない」と訴え、県民の思いを発信した。

 4代目の高等弁務官だったワトソンは「基地は琉球経済に不可欠な第一の作物」、5代目のアンガーは「基地が整理縮小、撤去されれば琉球は再びイモとはだしの生活に戻る」と発言し、経済の面から基地の駐留を認めるよう県民に揺さぶりをかけた。これに対し、屋良朝苗氏や大田昌秀氏は基地の駐留によって、日本本土の大多数のための「手段」となることを明確に拒否した。

 1985年に復帰後の知事では初めて訪米要請行動を展開した西銘順治知事は、普天間基地の返還など基地整理縮小を米側に直接要求した。保守県政では異例と捉えられた。西銘氏は沖縄のアイデンティティーを問われ「ヤマトンチュになりたくて、なりきれない心」と複雑な心境を吐露した。稲嶺恵一知事や仲井真弘多知事は、沖縄の経済自立に重きを置いた。稲嶺氏は沖縄振興に関し「魚ではなく、釣り具がほしい」と述べ、金やものよりも、経済活性化に向けた自由度の高い制度を求めた。
 (池田哲平)