復帰直前の沖縄〈50年前きょうの1面〉5月4 日「沖縄の防空識別圏決まる」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。  

 1972年5月4日の琉球新報1面トップは、「沖縄の防空識別圏決まる/総面積83万4千平方キロ/尖閣列島も圏内に/米空軍が侵犯を排除/中国側刺激の恐れも」との見出しで、領空侵犯を防ぐための防空識別圏について返還後に米軍から自衛隊がどう引き継ぐのかについて報じている。記事では「米軍の識別圏は中国本土までの最短距離八十四キロ、舟山列島まで三十六キロだったが、この識別圏縮小によって自衛隊識別圏は中国本土まで百三十五キロ、舟山列島まで九十九キロと、中国との距離はやや遠のいた」と自衛隊の識別圏が米軍のそれから縮小したものとなっていると説明している。

 連載「米統治の総決算」は4回目で、テーマは「パスポートの発給」。「批判者をチェック/本質、復帰後も変わらない」との見出しで、米軍占領直後から続く米軍(米国)による統治の推移を振り返っている。連載記事の中では「沖縄の出入管理令は前後七回にわたって改廃され現在に至るが、その間、明らかになっているのは米軍が基地の安全な維持、管理のためにパスポートを最大限活用し、米軍の統治に批判的な者を徹底的にチェックしていったことだ。(中略)このなかで米軍が米軍につごうの悪い者の出入域を拒否していった事実を目の当たりにみせられた沖縄県民は、パスポートの本質がなんであるかを知ったということに大きな意義があるといえよう。ただし復帰してもなおパスポートの本質は変わらないということを見きわめることが米軍支配下から日米共同管理化へ移行しようとしている現在、戦後の総括として大事ではないだろうか」と結んでいる。

 復帰に伴う基地従業員の大量解雇が問題になって、全軍労が長期のストを打つなど社会問題化していた件で「三八二人の解雇撤回/米四軍合同労働委〝希望退職者で調整〟」との見出しで、当初予定されていた1578人のうち382人を撤回すると米軍側が発表したと報じている。解雇を一部撤回した理由は「①人員整理対象者の多くが、ほかの職に配置替えできた②整理対象者外から希望退職者が出たため」と紹介している。

 このほか「『身分』きょう内示/県庁・教育庁合わせ九千人」と、琉球政府の職員の身分引き継ぎについて9000人分の内示をする方針を伝える記事も掲載している。

 

 

 

 

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 琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。