復帰直前の沖縄〈50年前きょうの1面〉5月5日「復帰まであと十日」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。  

 1972年5月5日の琉球新報1面は、中央に「復帰まであと十日」と立てに見出しを掲げ、トップ記事には「公務員身分引き継ぎを内示/国六千五百・県一万一千五百人/〝施設庁〟に問題残る/本土からも二千人」との見出しで、琉球政府の職員らの身分など復帰後の沖縄県で担う公務員についての記事を掲載している。復帰に伴い「琉球政府の現機構は十局一室だが、復帰とともに『沖縄県庁』に生まれ変わり、その機構は『総務』『企画』『農林水産』『労働商工』『土木』『厚生』の六部六十課に統合される」と紹介。部長人事は10日ごろの内示となるという。

 連載「米統治の総決算」は5回目のテーマは「奄美の復帰」。沖縄に先立つ19年前に返還された奄美大島が、沖縄と小笠原とともに日本から分離された歴史を踏まえ、民主化の要求や米軍軍政に抗う運動の先に「祖国復帰運動」に発展していった動きを紹介している。記事の中では「奄美の返還にあたっては、沖縄という強大な基地が完備していたことが返還を早めた理由になる。また五月十五日の沖縄の返還は沖縄を含めた日本全体の防衛体制ないしは戦力が整ったため実現するといってもよい」と奄美と沖縄の返還時期の違いを分析している。

 本土政府が復帰の在沖米軍基地返還の「目玉商品」と位置づけてきた那覇基地の完全返還に関連して「『米軍専用』で供与/P3施設/政府、一時使用も断念」との見出しで、那覇空港にある米海軍P3対潜哨戒機の関連施設が復帰後も継続使用となり、「完全」返還とはならないことを伝えている。記事では「米軍側は普天間基地整備が日本側の都合で遅れたことに態度を硬化させ、また普天間基地のある宜野湾市が『P3移駐反対』を本土政府に通告してきたこともあって、P3関連施設まで完全返還されるのは来年(1973年)以降に持ち越されることが必死の情勢となった」と詳報している。

 さらに「十五日に『総括』議会/立法院、県議会移行で問題山積」との見出しで、立法院が復帰後に沖縄県議会となるのに向けたしめくくりの作業について紹介している。

 

 

 

 

 

 

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 琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。