上原康助氏が独立論草稿 元開発庁長官「一国二制度 現実的」


社会
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故上原康助氏が書き残した沖縄独立論の草稿

 沖縄選出の国会議員として初の閣僚を務めた故上原康助氏が、「沖縄独立の志」(仮題)と題する草稿を書き残していたことが6日、分かった。日本からの独立が法的に可能か検証し、米軍基地問題や経済政策なども幅広く考察した沖縄独立論で、「日本政府が納得する独立には一国二制度を選択するのが最も現実的だ」と見解を表明している。政権にも関わった政治家の独立論は、沖縄の在り方を考える上で貴重な資料となりそうだ。

 草稿は1997~98年に書かれ、9割程度が完成している。保管していた出版プロデューサーの岡村啓嗣さん(69)は「単行本として出版予定だったが、上原氏側から出版できなくなったと連絡があり、そのまま私の書斎に眠っていた」と話す。

 執筆したのは、95年に沖縄県で起きた米兵による少女暴行事件を契機に県民の反基地感情が高まっていた時期で、独立論が活気づいていた。草稿は5章で構成。(1)独立を論じる理由(2)独立の可能性(3)世界で独立を果たした小国家(4)上原氏の「沖縄国創り」試案(5)基地問題と経済的自立―がテーマとなっている。

上原康助氏

 日本との関係を全面否定する独立論ではないと強調した上で、独立を宣言すれば内乱罪に問われる可能性が高く、現行法制下での実現は困難と分析。現実的な選択肢として「一国二制度のもとでの経済的自立と大幅な自治権を持った部分的独立が第一歩となるだろう」と提言している。

 上原氏は97年2月の衆院予算委員会で「沖縄が独立する場合、どういう法的措置が必要なのか」と質問し、日本と沖縄の関係に一石を投じた。質問への反響が大きかったため、独自に資料を集めて研究を重ね、自身の考え方を書籍で表明するつもりだったとみられる。

 上原氏の長男康司さん(60)は「独立論という理論武装を試みたが、県民の分断につながりかねないと危惧し、出版に至らなかったのではないか」と推察している。

 上原氏は日本復帰前の70年、沖縄で戦後初めて行われた国政選挙に社会党公認で立候補し、衆院議員に初当選。93年の細川連立政権で国土庁、沖縄開発庁、北海道開発庁の長官に就任した。2000年に政界引退。17年8月、84歳で死去した。