【記者解説】「切り札」に活路求め 本土の関心薄れに懸念も 上原康助氏の沖縄独立論


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10・21県民大会の様子=1995年10月

 故上原康助氏が沖縄独立論を執筆したのは今から四半世紀前、沖縄が日本に復帰して満25年を迎えたころだ。当時は米兵少女暴行事件や米軍用地特措法の改正など、沖縄を取り巻く厳しい現実に多くの日本国民が関心を寄せていた。だが、上原氏は本土の意識はいずれ薄れることを懸念し「沖縄問題への関心を持続させる求心力のある目標が必要だ」と草稿に記している。それが「独立論」だった。

 文面から伝わってくるのは、独立を果たそうという気概よりも「沖縄の諸問題に真剣に取り組もうとしない日本政府」にいらだち、独立論という“切り札”に活路を見いだそうとする姿勢だ。

 沖縄の独立について、衆院予算委員会で質問した1997年2月13日。東大近代日本法政史料センターに保管されている上原氏の手帳には「やはり不十分だった。問題点をしぼらんと」との書き込みが残されている。

 沖縄が72年に復帰する際、上原氏は賛成の立場を取った経緯があり、県民から「いまさらおまえが独立を語るのか」と厳しい批判も受けていたという。質問の意図がうまく伝わらなかったもどかしさが、執筆の動機になったとみられる。

(共同通信)