復帰直前の沖縄〈50年前きょうの1面〉5月9日「那覇空港『完全返還』遠のく」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。  

 1972年5月9日の琉球新報1面のトップは、「那覇空港、混成飛行体が〝便乗居すわり〟/『完全返還』遠のく/空港運用の主導権、米軍が握る恐れも」との見出しで、那覇基地から嘉手納基地への移駐を予定していた米軍機が復帰後も引き続き那覇空港を使用することになり、「完全返還」とは言えない状況になると伝えている。

 記事では「政府は米軍基地返還の〝目玉商品〟として那覇空港の完全返還を強く希望し、折衝の結果、米側は同空港にいる第一七対潜しょう戒飛行体所属のP3対潜しょう戒機は普天間基地へ、その他飛行隊の航空機は嘉手納基地へ、それぞれ移駐することで話がついた」と那覇空港の「完全返還」となるはずだった経緯を紹介。しかし「四次防先取り問題をめぐる国会紛糾」で移駐のための施設整備費の予算の成立が遅れたことにより、米軍機の移駐も不可能となったと背景を説明している。

 連載「米統治の総決算」は8回目「主席公選」。「自治権要求の現われ/顔色うかがう任命に反発」との見出しで、沖縄住民をコントロールしやすい仕組みとして主席の任命制がとられていた歴史を振り返りつつ、沖縄における自治を獲得する住民の渇望が強まっていった経緯を哨戒している。

 このほか「復帰前最後の沖特委/衆院」と、9日に開かれる衆院沖特委員会の予報記事を掲載している。復帰前最後の沖特委となるため、沖縄選出議員を優先的に質疑させることになったことを伝えている。 

 

 

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 琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。