沖縄で認可外保育園が多い理由 米統治下、復帰後も置き去りだった福祉政策<復帰50年夢と現実>6


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子どもと遊ぶ名護タケさん=4月19日、宜野湾市野嵩の緑ヶ丘保育園

 「沖縄振興策の中で、子どもの貧困対策や保育政策は議論の俎上(そじょう)にさえ上らなかった」。1972年の復帰当時、沖縄総合事務局で第1次~3次の振興計画を担当した宮田裕さん(78)は振り返る。

 米統治下の27年間、沖縄では軍事施策が優先され、インフラ整備や経済発展などで本土と大きな差が開いた。そのため振興計画の最初の30年は格差是正を重視し、その後は自立型経済の構築を推し進めた。一方で、貧困世帯への支援や保育事業などの福祉政策は置き去りにされた。宮田さんは「そもそも福祉的な事業は政策課題として認識されていなかった。政策の柱に据えなかったのは50年間の反省だ」と感じている。

 福祉政策の遅れの影響は、子どもの貧困率の高さや待機児童数、認可外保育施設数の多さに表れる。沖縄では働く親のニーズに応える形で、認可外の託児所が数多く設置された。

子どもたちと過ごす末広尚希さん(左から3人目)(本人提供)

 1964年に開園した認可外保育施設・緑ヶ丘保育園(宜野湾市)の創設者、名護タケさん(82)は「認可外は認可に入れなかった子どもたちの受け皿でもある。行政もなくなれば困るはずだが、給食費や運営費の補助は認可と差が大きい」と指摘する。その上で、沖縄の福祉事業を支えてきた認可外保育施設への、公的補助の必要性を訴える。

 沖縄では56年に本土の基準にならって「児童福祉施設最低基準」が制定されるが、当時の沖縄では厳しい基準で認可施設の整備はなかなか進まなかった。復帰後も認可外に依存する形で沖縄の保育政策は進められた。厚生労働省によると2019年度末時点で、沖縄の認可外への入所人数は、東京に次いで2番目に多い8439人に達する。

 多くの働く親のニーズに応えて運営を続けてきた認可外だが、運営費のほとんどは保護者からの保育料でまかなうため、経営基盤は不安定なところが多い。認可外は年度途中入園や産休明けの預かり、夜間保育など保護者の状況に合わせて柔軟に対応してきた。一方で保育料は所得に関わらず一律徴収となるため、認可と比較して割高になりがちで、保護者の経済的負担は重い。

 認可に移行しようとしても、資金や設備面での基準が運営側にとって高いハードルになる。名護さんは「子どもは平等にいい保育を受けて育つ権利がある。差別なく補助をしてほしい」と求めた。県認可外保育園連絡協議会の末広尚希会長(44)は「補助の少ない認可外に子どもを預けざるをえない、社会的な問題にも目を向ける必要がある」と強調する。

 「認可外の果たしてきた役割に目を向け、その背景にある問題を解消しない限り、真の復帰とは言えない」と末広さん。立ち遅れた福祉政策が残した、いびつな保育事業の構造は今なお県民に重い負担を強いている。

(嶋岡すみれ)