平和な島こそ「沖縄戦 慰霊の道」 新振興計画に50年前の政府声明を引用した県職員の思い


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県が国立公文書館から入手した政府声明の複写版(県提供)

 沖縄県が策定した第6次沖縄振興計画「新・沖縄21世紀ビジョン基本計画案」(振計)の冒頭に、「沖縄を平和の島」とすることが沖縄戦で犠牲になった人々の「霊を慰める道」であり、それが「国民の誓いでなければならない」と表明した50年前の政府声明が引用されている。国の沖縄振興の位置付けが変質しつつある中、県はかつての政府声明の言葉を借りて計画の意義に据えた。この声明の発表は沖縄が日本に復帰した1972年5月15日。忘れられていた声明の一文を盛り込んだのは一人の県職員だった。

 政府声明の一文を盛り込んだのは3月末まで県企画調整課で振計全体の取りまとめを担った武村幹夫特命推進課長だ。「50年もたつと社会情勢は変わり世代交代も進むけど、沖縄振興の原点は『贖罪(しょくざい)の意識』だったことを忘れてほしくなかった」と思いを語る。

 政府声明とは重要事項について時の政権の全閣僚が了解した上で意見表明する手法だ。

 復帰時の政府声明から引用されたのは「沖縄を平和の島とし、わが国とアジア大陸、東南アジア、さらにひろく太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い生命をささげられた多くの方々の霊を慰める道であり、沖縄の祖国復帰を祝うわれわれ国民の誓いでなければならない」との一文だ。

 玉城デニー知事はこの内容が盛り込まれた振計を復帰記念式典が催される15日に決定し、来県する岸田文雄首相に手交する計画だ。

 武村氏は「『沖縄はいつまで沖縄戦や米施政下の歴史的事情を言い続けるのか』と言う人もいる。だけど沖縄に負担を強いて本土が発展したのは事実だ。世代交代が進む今、県民に寄り添う姿勢を示したこの一文を入れたかった」と語った。(梅田正覚)