「沖縄県出身」に大拍手 復帰の日、アナウンスに入った「県」の文字 50年前の大相撲


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沖縄出身初の関取、琉王

 沖縄が本土に復帰した1972年5月15日、大相撲は夏場所2日目だった。会場は東京・蔵前国技館。沖縄出身初の関取、東前頭3枚目の琉王(故人)は幕内土俵入りで晴れの瞬間を迎えた。

 土俵入りでは力士一人一人のしこ名、出身地と所属部屋がアナウンスされる。前日まで琉王は「沖縄出身、朝日山部屋」で、いわば外国出身扱いだった。それが本土復帰当日からは「沖縄県出身」―。「県」の一文字が入った。当時を知る関係者によると、観客席からはひときわ大きな拍手が湧き起こったという。取組でも白星を挙げ、2度目の大拍手を浴びた。

 後に行司の最高位、34代木村庄之助を襲名した伊藤勝治さん(79)は50年前、幕下格行司だった。館内放送は行司が担当。伊藤さんは当番ではなかったが「しこ名や出身地などが書かれた放送用の力士カードも、2日目には『沖縄』から『沖縄県』に変わっていた」と話す。2歳下の琉王を「おとなしくて、真面目な力士だった。まゆ毛の濃さが印象に残っている。あれから50年か…」と歴史的な日を懐かしんだ。

番付を手に、30歳で新入幕を喜ぶ琴椿(現白玉親方)=1990年12月、東京都墨田区

 日本相撲協会によると、沖縄返還前の50~60年代には那覇市や石垣島などで巡業を開催。横綱の栃錦や柏戸、佐田の山らが訪れ、チケットはドルで売られた。最近では2019年12月にうるま市で冬巡業が行われ、横綱白鵬らが参加した。

 沖縄から2人目の関取となった元幕内琴椿の白玉親方(61)=本名渡嘉敷克之、佐渡ケ嶽部屋=は本土復帰前の小学4年時、機関士だった父の客船で鹿児島県へ旅行。「すぐ近くの桜島を見るのに事前に予防接種を受け、パスポートを作り、ドルを円に換金した。土産を買う際、ドルならいくらかと計算したことを覚えている」と語る。

 開催中の夏場所番付に載る沖縄県出身力士は十両美ノ海(木瀬部屋)ら8人。同県から関取は計6人を輩出したが、三役はまだ誕生していない。「沖縄の人たちはおおらかな気質だから」と目を細める白玉親方は「地元から役力士が出てほしいし、力士ももっと増えてほしい」と願った。
(共同通信)