【識者談話】沖縄不在の日米同意 我部政明氏 琉球大名誉教授


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我部政明氏

 返還前の沖縄に核が貯蔵されていたと米軍高官が明言したのは、非常に珍しい事例だ。米軍内部の聞き取りなので率直に答えたのだろう。

 実際、米側は1972年5月には日本政府の要請を受ける形で「核抜き」の約束は守ったとする趣旨の声明を出している。返還後も秘密裏に貯蔵している可能性はゼロではないが、もし発覚した場合の政治的リスクを考えると、現在は貯蔵していないと見るのが妥当なところではあろう。

 佐藤栄作首相とニクソン米大統領の共同声明(69年11月)とは別途、両首脳の署名入りの核の「再導入」密約が存在する。それによれば、事前協議で米側が緊急時の核の再導入(その貯蔵を嘉手納、那覇、辺野古で行う)の必要を求めれば、日本は「遅滞なくそれらの必要を満たす」と記されている。そこには何をもってその事態だと認めるかの説明はない。

 ただ、米国務省は核兵器を日本に運び込む必要がある時は日本の危機に直結する事態なので、事前協議で日本が同意するはずだと考えていた。だとすれば、佐藤氏の密使だった若泉敬とキッシンジャー大統領補佐官の間で準備されたこの密約は、不要の代物だったとも言える。

 佐藤自身が、声明発表後に行った演説で、韓国での危機は日本の安全にとって重大な影響を持ち、台湾の平和は重要な要素であると述べた。そして事前協議では「前向きにかつ速やかに態度を決定する」と決意を述べた。これをもって日本は緊急時の核再導入を容認すると指摘されてきた。

 先の密約は、軍部の要求で作成されたと言われる。共同声明を発表する直前の1969年11月21日朝、ニクソンが米上下両院の代表者を集め、レアード国防長官や米統合参謀本部議長らがそろって返還交渉の成果を説明している。その場で、軍のこれら2人は「大変満足している」と指摘した。後に返還協定の批准作業に入った米上院での公聴会で、統合参謀本部議長は国務省の指摘通りに日本から「最大限の譲歩を勝ち取った」と答えている。

 日本の同意こそが、日米関係を長きにわたり安定させる上で重要だとする米国の考えが貫かれている。そこに、沖縄の同意は存在しない。

 (国際政治学)