悔しさ胸に選手宣誓 基地なき島かなわず 73年若夏国体の出場の前大光男さん(豊見城市)


社会
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取材に応じる前大光男さん=10日、豊見城市

 「郷土の名誉と競技の栄光のためにスポーツ精神を発揮し、堂々と競技することを誓います」

 日本復帰を記念して1973年5月に開かれた沖縄特別国体(若夏国体)で、当時27歳の陸上選手だった前大光男さん(76)=豊見城市=は、晴れ渡った空の下、選手宣誓をした。かなわなかった米軍基地のない島としての復帰。悔しさは胸にしまって、競技に打ち込んだ。

 那覇から南西約440キロの西表島出身。石垣島の高校で陸上部に入り、頭角を現した。20歳の時、100メートル走の県代表として岐阜国体に出場するため初めて本土に渡った。鹿児島まで船で行き、船上でパスポートのチェックを受けた。「沖縄は完全な外国だ」と疎外感があった。

 到着まで3日。岐阜の整備された競技用トラックは、小石が混ざる赤土を使った沖縄の競技場とは「歴然たる差」だった。

 「若夏国体は競技環境でも、本土に追いつこうとした大会だったと思う」

 迎えた開会式で、復帰をけん引した屋良朝苗初代知事の開会宣言の後に選手宣誓をしたことが誇らしかった。400メートル走に出場したが、優勝候補にインコースから追われる重圧に負け、予選敗退。「選手宣誓を務めただけで十分」と気持ちは晴れやかだった。現役引退を決めた。

 陸上に夢中だった20代。「基地の全面返還」を求めて激しさを増していた復帰運動の動向は新聞で追っていた。返還交渉での日米の密約が明るみに出た時は、怒りがこみ上げた。72年の復帰から半世紀がたっても残る基地には「じくじたる思いがある」。

 楽しみにしているのは、後進のアスリートたちの活躍だ。昨年の東京五輪で県勢がメダルを獲得した時には、ひときわうれしかった。一方で、くすぶる気持ちが拭えない。戦後、沖縄が日本から切り離されず、スポーツ施設の整備も「本土並み」に進んでいれば―。「沖縄のスポーツ界は、もっと発展していたのかもしれないですね」

(共同通信)