復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉5月16日「県民大会、激しく〝沖縄処分〟を糾弾」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した後の1972年5月16日の琉球新報1面は、「県民大会/激しく〝沖縄処分〟を糾弾/新たな戦いを決意/反戦米兵〝事前協議意味失う〟」との見出しで、15日に那覇市与儀公園で雨降るなか開かれた「沖縄処分抗議県民大会」や沖縄県主催の「県発足式典」をまとめて紹介している。記事では、復帰して発足した沖縄県の初日について「『日本国民としての主権の回復による新たな決意』と『返還内容への怒り』で終始した」と総括している。

 さらに隣接記事では、東京での政府主催の「復帰記念式典」に対して「限界下で集会/デモの波/東京」と明治公園での抗議集会の様子を掲げている。県民大会の様子を伝える写真にも大きく紙面を割いている。写真をみると、参加者が傘を手に、雨合羽に身を包んで拳を上げている姿が見て取れる。

 金口木舌では、15日の降雨の様子を「それはまるで無数のイヌとネコがいちどきに降ってきたような、どしゃぶりだった。(中略)おかげで北部地方ではガケくずれが数カ所に出るしまつ。交通がしゃ断されてドルと円の交換業務ができず、『聖徳太子』の顔をおがむのがおそくなった村民も出てきた。一日二百五十ミリも降った雨は床上や床下浸水さわぎも起こした。まったく〝晴れて祖国復帰〟ではなく雨にたたられた復帰であった。(中略)〝世替わり〟のあらしであった」と記している。

 復帰したことで、米軍基地の位置づけについて「沖縄基地、国連軍へ提供」との見出しで、「国連軍合同会議(日本側代表吉野外務省アメリカ局長、国連軍側代表リー在日米軍参謀長)は十五日午前、外務省で、沖縄基地の米軍への提供を決めた日米合同委員会に引き続き開かれ、沖縄の嘉手納空軍基地、ホワイトビーチ軍港、普天間海兵隊飛行場の三米軍施設区域について、国連軍地位協定第五条二項の規定によって、国連軍の使用を認めることに合意した」と伝えている。

 沖縄県発足式典の詳報も掲載し「自治、平和、豊かな県づくりへ/新沖縄発足を宣言」との見出しで、新生沖縄の誕生にあわせた宣言を掲げている。

 新沖縄県スタートで屋良朝苗知事の会見の様子を「問題は〝複雑怪奇〟/屋良知事『まず足場づくり』」と紹介している。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。