復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉5月18日「在沖米軍、復帰後も自由出撃」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年5月18日の琉球新報1面は、「便乗値上げ取り締まる/公取委、沖縄分室が活動開始/消費者保護に全力」との見出しで、復帰で沖縄にも「独禁法」「下請代金支払遅延等防止法」「不当景品類及び不当表示防止法」の公正取引3法が施行されることで、公正取引委員会の出先機関が取り締まり強化に乗り出したことを伝えている。一方で復帰と同時の全面施行では無理があるとして経過措置として特措法や政令も設けられた。たとえば①復帰前からある持ち株会社は、特措法に経過規定を置いて復帰後は持ち株会社が存続できないように禁止する②会社の役員兼務の届け出なども復帰後60日以内に届け出・報告しなければならない③復帰前からある独禁法違反の行為は復帰後60日以降から罰則を適用する―などの経過措置がとられた。 

 トップに次ぐ大きな縦の見出しで「在沖米軍、復帰後も自由出撃/反戦米兵組織が実態報告/海兵隊四千人南ベへ/空軍の出撃も倍増/空洞化する事前協議」と掲げた左肩の記事は、反戦米兵のグループによる調査発表で復帰後も沖縄から出撃した沖縄の海兵隊が戦闘に引き続き参加していることなどを紹介している。記事では「復帰と同時に在沖米軍は日米安保体制下にはいったが、とくに『復帰後の十五日と十七日には海兵隊がベトナムに向かった』といわれる。ベトナム戦の『ニュー・エスカレート』で事前協議制は空どう化、在沖米軍は復帰後もなお沖縄を極東最大の攻撃、補給基地としての機能をしている」と指摘している。

 この米軍の動きに対し、沖縄側からの反応として「自由出撃の中止を/屋良知事、首相に要請/基地の不安まだ続く」と伝えている。官邸で佐藤栄作首相と会談した屋良朝苗知事は、復帰自体に謝意を表した上で「①基地の整理縮小②沖縄基地からベトナムへの自由発信の禁止③核ぬき確認④物価、通貨切り替えに伴う問題⑤県民自治の確立」などについて要請している。これに対して佐藤首相は、自由出撃について『絶対にありえない」と述べるにとどめたという。

 復帰を果たした屋良知事は上京して首相官邸記者クラブで会見した記事も掲載している。屋良知事が国民に向け発表したメッセージでは「要するに沖縄問題は、復帰の時期が到来したところによってすべてが解決したというものではなく、むしろ復帰はその完全な解決へ大きく一歩を踏み出したというのが私どものいつわらざる実感である」と訴えている。

 東京発の記事では「ランパート前弁務官に勲一等旭日章」をの見出しで、佐藤首相が最後のランパート前高等弁務官を招いて勲章を伝達したことを伝えている。

 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。