見捨てられた裏通りから 前田比呂也(中学美術教師・元中学校長)<未来へいっぽにほ>


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前田比呂也(中学美術教師・元中学長)

 50回目の復帰の日を迎えた。50年前、小学生だった私にも復帰を挟んでいくつかの記憶がある。

 担任の先生がゼネストへの参加を呼び掛け、日の丸を配ったこと。復帰の日、朝の会で「今日から日本人なのだから日本人らしくしなさい」と言われたこと。クラスに父親が自衛官の友だちがいて、苦しそうにしていたこと。お年玉が1ドルから千円に変わったこと。琉球切手の収集に夢中になっていたこと。突如として道路がヤシの木で、海岸がテトラポットで覆われたこと。そして祖母が酔っ払った米兵にひき殺され、犯人は無罪になったこと。復帰して変わったことも、変わらないこともあったが、私たちは常に無力で、いつも見捨てられてきた。

 1990年から93年まで、私は香港日本人学校に勤務した。香港は97年のイギリスから中国となる日を目前に混乱の中にあった。沖縄では日本復帰と言ったが、香港の人々はそれを中国返還と言い、不安をあらわにした。一緒に働いていた学校の現地スタッフも続々とカナダへ移民を始めていたが、香港に残ることを決めた人々、あるいは残る以外選択の余地のない人々もいた。

 返還後、一国二制度の約束は守られず、強大な中国にあらがう人々の姿を報道で見ることとなる。なじみ深い街並みが、デモや鎮圧の舞台となる寂しさ。民主の女神や若者たちの痛ましい姿。そして全ての抵抗が終わりを告げる。それは沖縄の復帰運動と重なった。

 ウクライナの映像に重ねた「ブルーハーツから愛をこめて」を聴きながら、復帰の日特設授業の準備をした。その授業で生徒は、アメリカ→日本ではなく、復帰とは支配→自由、だとワークシートに書いた。その強い意思が平和な未来をつくる誓いとなるのが、「復帰の日」であればと願う。