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「降伏」か「退避」か 変わらない戦時下の思考<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 ウクライナ・ドネツク州南部で(黒海と接続する)アゾフ海に面したマリウポリ市の製鉄工場「アゾフスタリ」の地下壕に立てこもり抵抗していたウクライナ政府軍、内務傘下のアゾフ連隊が16日以降、ロシア軍と「ドネツク人民共和国」警察部隊に対して降伏している。

 <ウクライナ国防省は17日、南東部の激戦地マリウポリでウクライナ部隊が抵抗を続けていた最後の拠点、アゾフスターリ製鉄所から負傷兵を含む264人の兵士が16日にロシア側支配地域に退避したと明らかにした。ウクライナ軍は製鉄所内の兵士について「戦闘任務を完了した」と説明。事実上の投降を意味し、ロシア側が要衝マリウポリを完全に制圧する可能性がある>(17日本紙電子版)。

 ウクライナのゼレンスキー大統領や軍幹部は、降伏や捕虜という言葉を避け、代わりに退避(evaculation)、英雄(hero)という言葉を用いている。しかし、ロシア国防省はウクライナ軍の戦闘員は「白旗を掲げて降伏し、捕虜になった」と発表し、武装解除と身体検査をされているウクライナ兵の様子を動画で報じた。

 特にアゾフ連隊に所属すると思われる腕にスカンジナビア・ナチスのシンボルの入れ墨を入れている兵士や、傭兵(ようへい)と思われる英国の国旗を軍服に縫い付けた兵士については入念に写していた。ウクライナにナチス主義者や西側の傭兵がいることを印象付けようとしていた。乗り合いバスを救急車に改造した車内で、ロシアの衛生兵がウクライナの負傷兵の手当てをしている姿も繰り返し放映していた。ロシアの「人道性」を強調したいのであろう。

 客観的に見てウクライナの戦闘員は降伏し、捕虜になった。18日のロシア国営タス通信によると、24時間で約700人のウクライナ人将兵が投降し、16日から959人が捕虜になった。地下壕に籠城する半数以上が投降したということだ。19日夕刻のタスによると過去24時間にさらに771人が投降したとのことだ。

 ゼレンスキー大統領やウクライナ政府関係者のみならず、米政府もマリウポリにおけるウクライナの敗北を認めていない。両国の姿勢は79年前の大日本帝国をほうふつさせる。1943年2月9日、大日本帝国大本営陸海軍部は以下の発表を行った。

 <一、南太平洋方面帝国陸海軍部隊は昨年夏以来有力なる一部をして遠く挺進せしめ、敵の強靱なる反攻を牽制破砕しつゝ其の掩護下にニューギニア島及ソロモン群島の各要線に戦略的根拠を設定中の処既に概ね之を完了し茲に新作戦遂行の基礎を確立せり/二、右掩護部隊としてニューギニア島のブナ附近に挺進せる部隊は寡兵克く敵の執拗なる反攘を撃退しつゝありしが其の任務を終了せしに依り一月下旬陣地を撤し転進せしめられたり/同じく掩護部隊としてソロモン群島のガダルカナル島に作戦中の部隊は昨年八月以降引続き上陸せる優勢なる敵軍を同島の一角に圧迫し激戦敢闘克く敵戦力を撃摧しつゝありしが其の目的を達成せるに依り二月上旬同島を撤し他に転進せしめられたり(以下略)>(1943年2月10日「朝日新聞」1面トップ)。

 日本が「撤退」を所期の目的を達成した上での「転進」と言い換えたように、ウクライナは「降伏」を所期の目的を達成した上での「退避」と言い換えている。戦時下における当局者の思考は、79年前も現在も変わっていない。いずれにせよウクライナが玉砕戦術をとらずに、人命が救われたのはよいことだ。

(作家・元外務省主任分析官)