「いつか堂々と話せる日が」「可能な限り早く」平均80歳超…ハンセン病元患者の願い 協議会設置へ


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玉城デニー知事に協議会の設置を求める「沖縄ハンセン病回復者の会」共同代表の平良仁雄さん(中央)=2021年11月15日、県庁

 「ようやくわずかな光が見えた」。ハンセン病問題の課題解決に向けた協議会を県が本年度中に立ち上げる。「ハンセン病回復者の会」共同代表として要請行動をけん引してきた平良仁雄さん(83)は、かみしめるように語った。「私たちに残された時間は少ない。可能な限り早く実現してほしい」と強く訴えた。

 回復者の会は「らい予防法」廃止(1996年)から20年超が経過した今も残る、差別や偏見に苦しむ元患者や家族の現状を変えたいとの思いで2018年に発足した。同年、県へ最初の要請もした。

 協議会の設置は「個人では相手にしてくれない国や県に意見を言うためだった」と平良さんは振り返る。県の当事者意識が薄れたように受け取れる啓発パンフレットの訂正、訪問看護など地域診療制度の確立。県に要請した項目はすべて「元患者と家族が地域で安心して暮らせる社会を実現するため。その責任は行政にあるでしょう」。

 かつて国はハンセン病を「国辱」とし、全国で患者の強制隔離を推し進め、県も「無らい県運動」を推進した。地域で治療を受けられる体制はつくらず、完治する病気と分かってからも「らい予防法」廃止まで、社会で自由に暮らす権利を患者から奪った。「病歴発覚への恐れは私たちにすり込まれ、心の傷に今も苦しめられている」と平良さんは怒りをにじませる。

 同会によると、元患者の平均年齢は80歳を超えた。後遺症や加齢から来るさまざまな不調があっても、「心の傷」から地域の医療機関に行けない元患者も多い。

 課題解決へ「やっと半歩、前進した」。県内で暮らす60代の元患者の男性は協議会設置決定をそう受け止めた。男性は「うら傷」と呼ばれる後遺症がある。今でも周囲に気付かれることを恐れて一般の医療機関が受診しづらく、名護市の愛楽園へと治療のため通う。「頭では大丈夫だと思っても心が縮む。口が動かない。病歴を明かせない」と話す。「いつか堂々と話せる日が来ることを願っているよ」

 平良さんは01年、国賠訴訟で原告勝訴し、国が元患者に謝罪し権利回復を誓ってからも「社会の大きな変化は見られない」と指摘する。18年の要請から4年。ようやく進み出した状況に「この光を消したくない。ハンセン病問題は県民の一人一人にも責任がある。私たちも動き続ける。ぜひ協力してほしい」と願っている。
 (佐野真慈)