復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉6月2日「保守、革新の一騎打ちへ」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年6月2日の琉球新報1面は、「保守、革新の一騎打ちへ/県知事選、立候補届け出締め切る/政策論争も本格化/8-9日には票よみ」との見出しで、初の沖縄県知事選の告示が締め切られ、保守から自民党県連の大田政作氏が、革新側から革新共闘の屋良朝苗氏が立候補して保革一騎打ちの構図となったことを伝えている。記事では「2日は、大田候補(自民)が自民党の牙城である北部地区にはじめて乗り込み、同氏への支持を求める。また革新共闘の屋良候補は、那覇市内をくまなく回って対決ムードを盛り上げることにしている」と記している。

 さらに「自民党は3日からは同党選出の国会議員を総動員して最大の対決の場となる那覇市内の街頭演説をしらみつぶしに行って、夜は、支持者との懇談などを行う。また政策論争については、5日からの立会演説会を起点にして、本格的に革新への対決をいどむ方針を決めた」と保守側の動向を紹介。一方で「革新共闘は、1日の選対会議で屋良候補の出身地である読谷と嘉手納での3日に行われる演説会を皮切りに、全県のスケジュールを立て、5日には総決起大会を那覇市民会館で開いて、運動を全開させることになった」と革新の日程を詳しく記している。 

 別の記事では「米軍基地、増強目立つ/防衛庁、使用状況まとめる」との見出しで、沖縄を含めた在日米軍基地の使用状況を伝えている。記事の冒頭では「在日米軍基地は、3月末のベトナム戦争の激化に伴って活動が活発化し、沖縄の嘉手納空軍基地ではKC135給油機が15機から4,50機にふえ、大型輸送機のC5Aギャラクシー、C141スターリフターの発着回数も急増、また普天間海兵隊基地は隊員の外出制限令を出し、さらに本土の横須賀海軍、横田空軍、岩国海兵隊の各基地などもあわただしい動きを見せている」と紹介している。

 嘉手納基地と普天間飛行場のほか「ホワイト・ビーチ軍港(海軍)=入港艦艇が一時増えたが、その活動状況は一定しない。▽キャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブ(以上海兵隊)=海兵隊の動きが活発化。第3海兵師団から派遣されている揚陸チームは従来の1個大隊から2個大隊に増強、約1500人が沖縄を離れ、さらに支援要員約2000人も沖縄を離れたもよう」と記したほか「那覇基地(海軍)=攻撃機のF4Bファントム、A4Eスカイホークが岩国基地から移動訓練のため飛来するなど、海兵隊機の動きが活発化し、訓練も強化されている(5月19日以降海兵隊機はいなくなった)」とも加えている。

 このほか「今月、首相引退で激動/再結集する反福田連合/次期政権目ざし…/しのぎ削る対決」との見出しで、ポスト佐藤栄作争いの政局を伝えている。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。