復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉6月5日「県民の通貨損失額は75億円/発表額はるかに上回る」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年6月5日の琉球新報1面は、「県民の通貨損失額は75億円/選挙後に補償折衝/総務長官の発表額、はるかに上回る」との見出しで、沖縄県の調査結果を紹介している。記事では「沖縄県民は昨年の円変動相場制移行とその後の円切り上げ、復帰に伴う通貨交換によって膨大な損失を受けた」と経緯を述べ、前年の10月の通貨確認以降、復帰の時点までに県民が受けた損失の推計として75億2400万円に上ることを明らかにしている。この額について「これはさきに山中総務長官が県民の損失額として出してきた30億円をはるかに上回るもの」と指摘している。 

 隣接記事では「『沖縄』中心に再検討/基地総合調整本部近く発足」との見出しで、防衛庁が在日米軍と自衛隊基地の整理縮小推進のための「基地総合調整本部」設置について紹介している。記事では「この〝基地問題プロジェクト・チーム〟は、特に近年の内外情勢の変化と世論の動向に対応、基地を〝総点検〟して、基地の合理的運用と国土の有効利用を眼目としているもので、成果が期待されている。(中略)沖縄の本土復帰に伴い在日米軍基地が187カ所約578平方キロに倍増、地元沖縄を中心に反基地闘争が高まってきたため、沖縄基地を中心に再検討が迫られている」と記している。

 沖縄の基地については「すでに沖縄基地については、防衛庁が牧港住宅地区、読谷補助飛行場、泡瀬倉庫地区、ボロー…ポイント射撃場など計23カ所約27平方キロの全部または一部の返還構想をまとめている。また同時に、1月サクレメンテの日米首脳会談で合意された関東平野にある米九九軍基地集約問題も、3年間で約500億円にのぼる移転経費が見込まれており、これら沖縄と本土の在日米軍基地の総合的な調整が必要となっている」と言及している。

 知事選に関しては「知事選挙、きょうから立会演説会/第1のヤマ場へ/物価、基地などで論戦/城岳小学校」と保守と革新の舌戦について伝えている。選挙運動の中での自民の大田政作氏と革新共闘の屋良朝苗氏の主張を紹介し「中心的な政策は、大田氏が『各県や政府との協力を密にして新全総にのった経済開発を行ない、豊かな県政をつくる』とし、屋良氏は『中央との直結を廃して、県民本意の福祉増大と戦争のない平和な沖縄県をつくる』との基本姿勢に立って、物価、基地、経済の各面にわたる相手陣営の政策批判に終始した」と記している。

 選挙のこぼれ話を伝える「選挙レーダー」では「両陣営、地縁血縁に網を張る」との見出しで、保守・革新ともに集票の戦術を読み解いている。「選挙戦は〝網の目作戦〟の積み重ねだともいう。各地を遊説しての〝辻説法〟に加え、職場、団体、地縁、血縁などたてからも横からも、二重三重に網を張って票をすくう。中でも郷党意識の根強い沖縄にあっては、地縁、血縁は欠かせない最大の戦力だ。いわば選挙運動の〝核〟ともいえる存在で、大田、屋良両陣営とも郷党票を重視。郷友会や門中の集まりを持って闘う決意を確かめ合い、核の分散による票の開拓をはかっている」と具体的な動きについて紹介している。

 ◇  ◇  ◇

 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。