復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉6月6日「中央と連携=大田候補、自主基調に=屋良候補」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年6月6日の琉球新報1面は、「激しい舌戦を展開/県知事選、立会演説会ひらく/中央と連携、県作り 大田候補/自主・主体性基調に 屋良候補」との見出しで、初の沖縄県知事選で那覇市の城岳小学校で開かれた立会演説会の様子を伝えている。

 演説会で、自民党の大田政作候補は「これまで独立国並みだった沖縄は復帰に伴い一県になった。一国並みのイデオロギー闘争に根ざした国政論議は、国会の場で行うべきで、県政は地方自治法に基づいてなされるべきだ」と訴えたのに対し、革新共闘の屋良朝苗候補は「新生・沖縄県作りは、27年間の異民族支配から得た貴重な教訓をふまえ、県民の自主・主体性を基調に、反戦平和の立場に立った豊かな県づくりでなければならない。平和なくして県民福祉はあり得ない」と述べた。

 知事選関連で「〝県民自治守ろう〟/革新共闘政談演説会/選挙、完全勝利目ざす」との見出しで、革新共闘会議が開いた総決起大会の様子を伝えている。この大会で革新共闘は、知事選と県議選に向けた統一綱領をあらためて確認した上で「沖縄県民が自らの戦いによってかち取った県民自治と国家権力の手先である自由民主党に奪われることのないよう68年の主席公選の戦い以上に、粉骨砕身、屋良革新知事誕生と県議選での完全勝利を目ざして戦おう」との大会宣言を紹介している。

 選挙の関連ニュースをまとめて紹介する「選挙レーダー」は「立会演説会きっかけに対決ムード」との見出しで、低調といわれてきた知事選が立会演説会で「一挙に爆発した感じ」と雰囲気を伝えている。大田候補側はヤジと〝対決〟し「ヤジとのやり取りに時間を使い過ぎ、予定していた都市問題、農漁村の所得増大、教育問題を省略。ヤジと拍手、笑いのウズを残して降壇した」と紹介。屋良候補側は「大田候補の倍以上の原稿を準備して来たが時間を気にして、アクセントもつけず原稿を読みっぱなし。(中略)まるで支持者の拍手の時間もおしげに原稿を読み上げた」という。

 そのほか「具志堅、五輪代表に/三段とび/郷土出身では初の栄誉/ミュンヘン」との見出しで、ミュンヘン五輪で沖縄初のオリンピック日本代表選手として具志堅興清さんが選ばれたことを、左肩で大きく伝えている。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。