復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉6月9日「モノレール建設構想、戦災復興でぜひ実現」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年6月9日の琉球新報1面は、「四次防策定、次期政権で/来月決着を目ざす/防衛庁〝予算凍結〟も処理へ」との見出しで、退陣を決めている佐藤栄作首相の内閣で第四次防衛力整備計画(四次防)の策定は困難な情勢であることを伝えている。関連記事で「自衛官を30万人に/久保防衛局長が新構想」との見出しで、防衛庁の久保防衛局長が国会で防衛力の構想について答弁する様子も紹介している。別の関連記事では「自衛隊病院を建設/野呂政務次官/来年度予算で最優先」との見出しで、那覇防衛施設局の開局式に出席した野呂防衛成務次官が自衛隊協力会との懇談の場で沖縄への自衛隊病院整備の構想を明らかにしたことも掲載している。

 沖縄県知事選に向けた動きとして「自民、票田確保に全力集中/革新、相手地盤に切り込み/両陣営、北部でがっぷり四つ」との見出しで、本島北部での攻防を伝えている。「自民党にとって最大の票田だけに『革新側の攻勢をくい止め、差をさらに広げたい』ところ。これに対する革新は『ここでくい込んで逆転を図りたい』としている」と保革の動きを紹介している。

 この日の選挙レーダーは「双方とも危機感あおる」との見出しで、両陣営とも運動員の引き締め策として運動員の間に危機感を植え付けるのに躍起な様子を紹介している。

 平良良松那覇市長が立てた構想について「モノレールの建設構想、積極的姿勢示す/開発庁、戦災復興でぜひ実現」との見出しで、政府の積極姿勢を伝えている。那覇市の計画によると「那覇空港から首里石嶺までの11.05キロに、既存の道路上に高架線をつくり、モノレールを走らそうというもの。途中10カ所の駅をつくり、2両編成の列車15本を走らす計画」とある。さらに費用は「総工費は、約120億円(列車購入費や用地確保の費用を含め)このうち20億円は沖縄海洋博関係事業費からの補助を予定、残り100億円の半分は国庫補助、50億円は県、那覇市、民間で出しあおうというもの」と紹介している。一方、政府側の見方としては「政府は①那覇市内の交通混乱の状態からバスに変わる大量輸送機関を考えなければいけない時期に来ている②鉄道などに比べて建設費が安くすむ③昭和50年3月から開催される海洋博の観客輸送体制を考えなければいけない―ことなどから興味をよせている」と記している。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。