復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉6月11日「自民と革新の総対決へ」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年6月11日の琉球新報1面は、13日告示の沖縄県議選について「自民と革新の総対決へ/那覇、中部は混戦/国頭、糸満、宮古、八重山は無投票の公算」との見出しで情勢を伝えている。記事では「12の選挙区、定数44の議席をめぐって61人の立候補が予定されており、激戦となるのは必至。ことに県知事選と並行して進められるため、激戦地にとなる中部、那覇地区では、自民、革新が四つに組んで激しい選挙戦に突入しよう」と見通している。関連記事で「公明党、軍事施策に反対/県議選の10大政策発表」との見出しで、公明党県本部が「人間性尊重の中道革新を貫き、戦争につながる一切の軍事施策に断固反対し、平和と繁栄の県づくりをめざす」と基本理念を紹介している。

 選挙の関連の選挙レーダーは「政治活動の制限で執念の論戦」との見出しで、教職員による政治活動について取り上げている。「選挙となれば、教員の政治活動の制限問題が自民、革新の両陣営でヒートするのは、もはや恒例ともなった」と指摘。その上で「この教職員の政治活動の制限問題は、66年の立法院議員の第3区補欠選挙戦から始まったものだが、これがきっかけで67年の教公二法案の立法院審議では自民、革新が激突、97日間も立法院を空転させて以来のものだけに双方が相ゆずるはずはないし、まさに〝執念論争〟といったところだ」と紹介している。。

 来日中のキッシンジャー米大統領補佐官が財界と懇談した様子を記した記事では「安保の改定は不要/キ補佐官、財界懇談で強調」との見出しで紹介している。

 このほか、ミュンヘン五輪の日本代表選手には沖縄から三段とびの具志堅興清選手が決まっているが、この日の新聞では「新垣、五輪代表に/具志堅についで2人目」との見出しで,新たにボクシング・ライトフライ級の新垣吉光選手が代表選手団入りしたことも伝えている。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。