復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉6月15日「県議選、4選挙区10人が無投票当選」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年6月15日の琉球新報1面は、「4選挙区10人が無投票当選/県議選、立候補届け出締め切る/51人は決選投票へ」との見出しで、国頭郡区、糸満市区、平良市区、石垣市区の4選挙区の当選者の顔写真とともに掲載している。記事には党派別立候補者数の別も表で掲げ「とくに激戦区となる那覇と中頭郡区は、県知事選にも直接響くとあって自民・革新の両陣営とも激しい闘志でぶつかりあい、一気に選挙ムードを盛りあげた。(中略)大田、屋良候補は本島内を回って舌戦を展開した。だが双方の論戦は自民党が沖縄の経済開発に力点を置いているのに対して、革新側は基地問題を中心にした沖縄県政のあり方を強く訴え、かみ合っていない」と記している。

 この日の「選挙レーダー」は「七人の侍に〝上京禁止令〟」との見出しで、沖縄選出の7人の国会議員が知事選の告示前から県内にとどまって選挙運動にいそしんでおり、「国会から沖縄に舞台を移して大活躍」している様子を伝えている。続けて「このように〝七人の侍〟の総突入で、知事、県議選はいやが上にも燃え上がった感じ。さて、この代議士らの衆院前衛戦が本番の〝秋の陣〟でどういう結果で現れるか」と締めくくっている。

 このほか「米が最大級の北爆/24時間に340回も」との見出しで、ベトナム戦争で米軍が北ベトナム各地に爆撃を行ったと伝えている。その隣には、先ごろまで来日していたキッシンジャー米大統領補佐官が「キ補佐官/19日に北京訪問/首脳部と会談/両国関係悪化が理由か」と紹介している。

 別では「日航機、インドで墜落/着陸体勢とった直後/乗員含め87人」と、ニューデリー空港に到着予定の日航機471便、DC8型機が墜落したと報じている。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。