「北谷城跡」の一部、国の史跡に追加指定 文化審議会が答申 「一の曲輪」など


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 国の文化審議会(佐藤信会長)は17日、北谷町にある史跡「北谷城跡」の一部を、国の史跡に追加指定するよう末松信介文部科学相に答申した。官報の告示を経て、正式に指定される。

 13世紀後半から16世紀前半にかけ中山の拠点だった北谷城跡は、五つの曲輪(くるわ)と二つの平場から成る。東西約500メートル、南北約165メートル、最高所は標高約44メートル。各曲輪は主に琉球石灰岩を使った城壁で囲まれ、石垣のない場所は、人工的に作られたとみられる斜面、切岸(きりぎし)になっている。追加指定し保護を図るのは、主に「一の曲輪」と「四の曲輪」、「五の曲輪」の一部など。

 かつては麓まで海が迫り、防衛と交易に適した立地だったと想定されている。中山における北方の要として琉球国成立後まで存続。成立過程の一端を解明できる拠点として貴重と評価された。

 北谷城跡は米軍キャンプ瑞慶覧内にあったが、2020年3月に返還され、21年3月26日付で国の史跡に指定された。半嶺満県教育長は「北谷町教育委員会と連携し、文化財の適切な保護と保存、継承に努めていく」、北谷町の渡久地政志町長は「文化財の保護と保存の観点から、大変喜ばしく感じている。今後は北谷城跡や町立博物館の整備を推進していく」とそれぞれコメントを発表した。

北谷城跡「一の曲輪」東壁にある石垣の根石(北谷町教育委員会提供)
北谷城跡全景(北谷町教育委員会提供)