復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉6月20日「県知事選へあと5日」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年6月20日の琉球新報1面は、「県知事選へあと5日/那覇市民会館で最後の立会演説会/熱狂、4千の聴衆/両候補〝沖縄の未来は私に〟」との見出しで、終盤で盛り上がってきた初の沖縄県知事選について報じている。

 記事ではこれまでの選挙運動を振り返り「両候補は最後の演説で58万有権者に訴える政策を明確にしたが、これまで11会場を通じて両候補が訴えたものは、ともにこんどの選挙が沖縄県の進路を決定する重大なものである―という1点に集約される。(中略)残された4日間が勝敗のカギをにぎるだけに、革新側は本土から美濃部都知事、成田社会、竹入公明の各委員長が23日ごろから乗り込み支援に当たることになった。自民党も渡海自治相、福田外相、田中通産相らの派遣を求めただけに、この4日間の攻防は、すさまじいものになりそう」と締めている。

 この日の「選挙レーダー」は「最後の立会演説会にヤジ合戦」との見出しで、自民、革新ともに最大動員をかけてヒートアップした最後の演説会の様子を紹介。「会場はまるで興奮のルツボ。ヤジが飛ぶごとにヤジり返したり、はては『つまみ出せ!』と詰めよりあわや乱闘という一触即発の雲ゆきが延々と続いた。このため努めて冷静さを保とうとする屋良、大田の両候補も声がはずみ、ヤジを打ち消すのに懸命。それでも聴衆同士のヤジ合戦がますますエスカレートするばかり。まるで『ヤジ合戦もこれが最後』とでもあるかのように、おさまりをみせなかった」と伝えている。

 復帰後も続く米原潜の沖縄寄港に関連して、米原潜フラッシャー号が復帰後初めて米軍ホワイトビーチに入稿したことを受けて沖縄県が寄港反対を訴えたことを伝える記事を「がまんできぬ放射能汚染/県、原潜寄港に抗議」との見出しで伝えている。記事では、県が「原潜の沖縄寄港はこれまでも反対してきたし、こんどの寄港にも反対せざるをえない」と反対した上で、さらに「海洋博のテーマである〝海―その望ましい未来〟を推進しようとしている段階で放射能汚染はがまんできない」と強調している。

 中央政界の自民党の総裁選関連記事はこの日も掲載されており「大平氏が一番乗り/自民党総裁選、きょう福田氏届け出」との見出しで総裁選のスタートを伝えている。関連記事では「佐藤派が完全に分裂」の見出しで、引退を表明した佐藤栄作首相の佐藤派が、田中角栄通産相を支持する田中派と、福田赳夫外相を推す福田クラブが旗揚げして派閥内で分裂したことを紹介している。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。