普天間移設、対立さなかに大田―橋本会談を模索 仲介役・故下河辺淳氏の手紙内容判明 


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下河辺淳氏

 米軍普天間飛行場の返還・移設問題に関わり、沖縄県政と政府の密使として仲介役も果たした元国土事務次官の下河辺淳(しもこうべあつし)氏(1923~2016年)が1998年、当時の大田昌秀知事に宛てた手紙の内容が19日までに判明した。

 手紙は98年8月以降に書かれ差し出されていない。知事と橋本龍太郎首相の会談を模索していたことなどが書かれている。同年11月の県知事選を前に普天間移設を巡って政府と県の対立が深まっていた時期にも、仲介の努力が続いていたことが明らかになるのは初めて。 

 下河辺氏は手紙に「選挙前の最後の総理と知事との話し合いの機会をつくりたいと考え、9月に一カ月かけて話し合いのための準備作業に挑戦することを申し上げた」と書いている。その上で「知事さんとしては、すでに県内基地受け入れ反対声明を出し、知事選立候補も宣言して、選挙対策も進んでいる現在、すでに政府との話し合いをする状況にはないことでありましょう」と、会談の働き掛けを断念することも記している。

 手紙には大田知事に会談を促すため、普天間移設に関する「提案」をしたことも書かれている。提案内容の詳しい記述はないが、下河辺氏と沖縄の関係に詳しい江上能義琉球大学/早稲田大学名誉教授は「つなぎ役の下河辺氏自身に県内移設の日米合意を覆せるはずはなく、恐らくこの時の提案は県内移設の範囲内だったために、大田知事らに拒絶されたとみられる」と述べている。

 手紙は7枚の自筆で、下河辺氏が特別顧問を務めていた日本開発構想研究所が2016年に県公文書館に寄贈した沖縄関係資料に含まれていた。同研究所アーキビストの島津千登世氏、下河辺氏の秘書を務めた高島由美子氏の判読文により内容が判明した。 (宮城隆尋)