笑わないウクライナ避難民 祖母の沖縄戦に思い重ね寄り添う ポーランドで迎える慰霊の日 現地で支援の知念大虹さん(19)


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ウクライナ避難民支援のボランティアの前、知念大虹さんが訪れたアウシュビッツ強制収容所の門(知念さん提供)

 今年の慰霊の日は、ロシアによるウクライナ侵攻が続く中で迎える。浦添市出身の青山学院大2年生、知念大虹(たいこう)さん(19)は、ウクライナからの避難民を最も多く受け入れる隣国ポーランドを訪れ、ボランティアで避難民を支援している。知念さんに現地リポートを寄稿してもらった。

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 ウクライナとの国境まで約10キロ。ポーランドのプシェミィシィルにTESCOと呼ばれる避難民のアライバルセンターがあり、そこで支援活動を行っている。やってくる人々は基本的に女性や高齢者、子どもだ。私は主に避難民のためのベッドの準備や夜食作り、軽い清掃などをしている。

 TESCOには300人ほどの避難民がいる。戦争が始まってから日常が消え、生活も変わり果ててしまった人たちばかりで、なかなかシャワーも浴びられず、施設はどうしても不衛生になってしまう。衛生的な環境で過ごせるように、ベッドのシーツや枕カバーはできる限り毎日取り換える。

ウクライナ支援の学生ボランティアに参加する県出身の知念大虹さん

 避難民は笑わない人も多い。特に子連れの女性は常に不安を感じているのだろう。ウクライナは現在、男性は出国できないため、夫が戦地にいるのだろうかと想像する。

 ウクライナと同じように、77年前の沖縄でも戦争があった。私の祖母も「鉄の暴風」に巻き込まれ、右目を失った。避難民の中には実際に目が見えないような人や、車いすの人もいる。戦争で四肢の一部を失った方もいる。

 祖母は戦後も苦労したという。私には彼らが、このウクライナ戦争が終わった後も穏やかに生きられることを祈ることしかできない。己の無力感に苛(さいな)まれることも多い。

 ボランティアが始まる前、アウシュビッツのユダヤ人絶滅収容所跡やシンドラーの記念館などに足を運び、過去の戦争の足音を耳にした。人は、悪魔だ。そう思わずにはいられないことも多かった。しかし今、避難民と接するうちに、人のぬくもりを感じることができている。避難民を助けているつもりが、助けられていると感じる。

 23日は慰霊の日だ。今は亡き私の祖母も、戦争で人生を狂わされた被害者の1人だ。そして今、私の目の前には戦争の被害者が300人もいる。彼らが今後どんな人生を歩むのかは分からない。しかし、彼らには希望が残っていると私は信じて活動している。この祈りの日を、私は静かに心の中で思い、今日も避難民の皆さんを助けていく。それが、私が祖母から託された、平和への思いなのだから。