ラクロス女子、読谷出身の比嘉が日本代表に 五輪目指し「ここからが勝負」


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青山学院大時代の比嘉さやか。4年生の時に主将としてチームを引っ張り、試合では司令塔を務め活躍した(提供)

 6月29日から米国で開催されるラクロス女子の世界選手権大会に出場する日本代表に、読谷村出身で青山学院大卒の比嘉さやか(23)が初選出された。日本協会が5月に代表18人を発表し、比嘉は代表次点の補欠4人の枠に入った。世界大会にはベンチメンバーとして帯同する。比嘉は「今回はスタートメンバーではないが、何かあった時、誰の代わりでもなれるような準備をしたい」と意気込む。

 比嘉がラクロスを始めたのは大学1年の時。当時4年で日本代表に選ばれていた先輩との出会いがきっかけだった。学業目的で進学したが、高校の時に沖縄のサッカークラブチームでプレーした経験から「自分はやっぱりスポーツで上を目指すことが楽しい」と、改めてスポーツに打ち込むことを選択した。日本代表の先輩も、競技を始めたのが大学からだと知って魅力を感じ「自分もどこまでいけるか試したくなった」。

 クロスを使ってボールを100キロ近い速度で投げられ「やっても見ても楽しい」とのめり込んだ。「サッカーはボールが大きくて細かいパスが難しいが、ラクロスは体一個分空いていても通せる。その面白さがあった」。

 1年は攻撃専門のポジション、アタッカー(AT)で技術を磨き、2年で攻守の要となるミッドフィルダーを任されるなど持ち前の運動能力の高さですぐに頭角を現す。急成長を遂げて4年には主将を務め、強豪がそろう関東リーグで上位争いを繰り広げた。大学を卒業し、この春に東日本リーグ5連覇中の社会人チームNeO(東京)に入団。念願の代表入りを成し遂げた。

ラクロスの日本代表に初選出された比嘉さやか(後列左から2人目)(Photo by JLA)

 生まれは読谷村だが、両親の転勤の関係で小学から県外で過ごし、中・高校は広島県の一貫校に入った。高校時代はサッカーをするため週末などに帰沖して練習に参加。ナビィータでは九州一を経験し全国大会に出場した。「よく1人で練習していた。自主練は苦ではなくて、ラクロスでも、誰よりもやっていた。それが強みかなと思う」と成長の要因を振り返った。

 今回、代表ではATとして声を掛けられ、大会に向けて練習を重ねている。競技を始めて5年目。「まだまだマイナーなスポーツだが、プロ選手としてやっていきたいと思っている。ラクロスで食べていけるようになれば、続く選手が出てくる。それで日本のラクロス界も強くなる」と志を高く持つ。

 目標は正式種目として期待が高まっている「2028年の五輪」と断言する。「ここからが勝負だと思っている」と今回の代表入りをきっかけに、さらなる飛躍を誓う。関東ではリーグがあるなど盛んだが、沖縄は「全く広がっていない地域」と感じている。地元から日本代表が選出されたことをきっかけに「沖縄でも広まってくれたらうれしい」と話した。沖縄のラクロス第一人者として日本の主力に上り詰める決意だ。
 (謝花史哲)


<用語>ラクロス

 クロスと呼ばれる先端に網がついた棒状の道具を使って直径6センチのボールを運び得点を競い合う屋外競技。1チーム10人で、得点を狙う攻撃担当のアタッカー(AT)、攻守に活躍するミッドフィルダー(MF)、守備専門のディフェンダー(DF)、ゴールを守るゴーリー(G)に分かれて戦う。攻撃と守備ラインがあり、専門のポジションはそれぞれの区域内でしかプレーが認められない。