復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉6月25日「県知事・県議選きょう投票」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年6月25日の琉球新報1面トップは、「県知事選・県議選きょう投票/保守、革新ともに強気/26町村で即日開票/島尻郡区、今夜4県議が誕生」との見出しで、いよいよ沖縄初の県知事選が投票される日を迎えたことを伝えている。囲み記事では「きょうの開票」と題して、開票を実施する町村名と時間を列挙している。さらに「小差だが必ず勝つ=大田候補/よい結果を信じる=屋良候補」と、両陣営の選挙運動を終えた言葉を紹介している。

 大田政作候補は「票差は小さいかもしれないが〝必ず勝つ〟という自身をハダで感じた。これまでの選挙戦を通じて県下の津々浦々で『革新に県政はまかせられない』との声が高まっており、この動きがなだれ現象となって票に現れてこよう。革新行政の過去3年半の足跡をみると①1億4700万ドルもの予算未執行②物価政策のなさ③1億数千万ドルにのぼる赤字(借り入れ金)④そのうえに海洋博さえ取りやめようという動きが革新内部にある―などヤラさんにまかせたら大変だ。沖縄は、日本一の犯罪県、学力最低県、所得最低県ではないか、物価問題にしても革新行政のまずさを日本政府が悪いとその責任を転嫁している」と発言。

 屋良朝苗候補は「主席公選の時より激しくきびしい戦いだった。相手方の反撃も激しいものであったが、相手方の組織動員には限度があり、巻き返しはできなかったようだ。私は現職であったこともあり条件は悪かったが、選挙開始以来、県庁にも顔を出さずに選挙に全力を出した。しかし、事前に動くことができなかったため、盛り上げるまでに時間がかかったようだ。(中略)私としては130%訴えたつもりであるが、選挙の結果はどうなるか全くわからない。(中略)復帰したあとのこれからの沖縄は県づくりのためにも重要な時期(中略)あとは県民の審判を待つだけだ。県民の良識を信じている」と締めくくった。

 「選挙レーダー」は最終回。「ハチ合わせのまま演説合戦」との見出しで、選挙運動最終日24日の最後の訴えの様子を紹介している。「両陣営の車は、那覇市内三越前で、約50メートルと離れずハチ合わせのまま演説合戦。いずれ劣らぬ声をはり上げ、有権者をさらおうと懸命になっていた」と伝えている。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。