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「慰霊の日」平和への誓い ウクライナ戦争 我が事に<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 沖縄戦当時、女学校2年生だった私の母は14歳で日本軍の軍属となり、前田高地の戦い、首里の戦いを経て、日本軍が組織的抵抗を終えた1945年6月23日後も数週間、摩文仁のガマに潜んでいた。米兵に発見されたとき母は手榴弾で自決しようとしたが、隣にいた日本軍の下士官に制止されて思いとどまった。このことについては本コラムでも何回か書いたので、ここでは繰り返さない。沖縄戦の生き残りの息子として、平和への母の思いを継承する責任が筆者にはあると思っている。

 23日の沖縄全戦没者追悼式の平和宣言で玉城デニー知事は、沖縄戦とウクライナ戦争を関連付けて重要な発言をした。

 <ウクライナではロシアの侵略により、無辜(むこ)の市民の命が奪われ続けています。美しい街並みや自然が次々と破壊され、平穏な日常が奪われ、恐怖と隣り合わせで生きることを余儀なくされている状況は、77年前の沖縄における住民を巻き込んだ地上戦の記憶を呼び起こすものであり、筆舌に尽くし難い衝撃を受けております。/沖縄県としては、人道支援の立場から、ウクライナからの避難民受け入れ等の支援を行っており、一日も早い平和の回復を強く望みます。/「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と、ユネスコ憲章の前文に記されております。/平和な社会を創造するためには、国際社会が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、お互いを尊重し、対話を重ね、共に平和を追求していくことが、今求められているのではないでしょうか>(23日、本紙電子版)。

 追悼式に参加した岸田文雄首相のあいさつがウクライナ戦争に全く言及せず、形式的なものだったのと対照的だ。

 ウクライナ戦争と沖縄戦を結び付けて考えてるのは玉城知事だけではない。知事とは政治的に対立する立場にある公明党沖縄県本部の金城勉代表(県議)は、同本部50年史の前書にこう記している。

 <ロシアのウクライナヘの侵攻が世界中に衝撃を与えている今日、日本を取り巻く安全保障環境も変化し、特に、沖縄は尖閣問題を抱えておリ国境離島の緊張感が増している。しかし、沖縄県民は二度と再び戦火を交えることには断固反対する。/平和の党・公明党は、永遠に地球民族主義・絶対平和主義を貫いていく>(公明党沖縄県本部50年史編纂委員会「県民とともに――公明党沖縄県本部 50年の歩み」公明党沖縄県本部、2022年)。

 東京に住む日本系沖縄人として、「本国」沖縄では、政治的立場が異なるにもかかわらず、ウクライナ戦争で苦しむ人々の痛みをわが事として受け止め、平和に向けた決意を表明する政治家がいることを筆者は誇りに思う。

(作家・元外務省主任分析官)