復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉7 月1日「海洋博、関連公共事業計画まとまる」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年7月1日の琉球新報1面トップは、「海洋博、関連公共事業計画まとまる/約6千億円が必要/知事、国の特別措置を要請」との見出しで、①観客輸送に必要な道路、港湾、モノレールや街路、都市公園、河川、砂防整備などの土木建設事業②医療、チリ、し尿処理、上下水道整備などの環境衛生事業③宿泊、観光施設、輸送機関などの観光運輸事業④電気供給事業の4部門からなる整備計画を沖縄県がまとめたことを伝えている。屋良朝苗知事が上京し、田中角栄通産相に整備計画を説明する。

 解雇撤回などを求めて全沖縄軍労働組合が29日から続けている48時間全面ストが終了したことを伝える記事を掲載。見出しには「新たに勤務時間短縮を実施/米軍」と米軍が新たな施策も展開してきたことを伝えている。そばの記事には「〝毒ガス事故〟に抗議/春闘総括大会/闘争態勢の強化確認」と、全軍労の総括大会の様子も掲載している。

 中央政局では自民党総裁選について「反福田三派、政策協定へ/田中優位・福田追撃/票固めは激烈」との見出しで、党内各派閥による激しい票取りの動向を伝えている。

 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。