復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉6月30日「自衛隊の『尖閣』警戒否定」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年6月30日の琉球新報1面トップは、「全軍労書記長ら本土折衝へ/スト、きょうも続行/団交、基本的問題解決せず」との見出しで、解雇撤回などを求めて全沖縄軍労働組合が29日から48時間ストに入っている件の続報を掲載している。記事では全軍労が沖縄県労働商工部と那覇防衛施設局と団交し、県庁も米軍と折衝したが「基本的問題は解決されない」と事態は変わらずストが継続されることを伝えている。

 江崎真澄防衛庁長官が外国人記者クラブで講演した様子を紹介した記事では「核武装は無意味/自衛隊の『尖閣』警戒否定」との見出しで核兵器に対する政治姿勢を開陳したことを伝えている。記事によると江崎長官は「わが国は非核三原則を堅持しており、核兵器に対する政治姿勢は明確だが、軍事技術的にみても核武装は有利な選択であるとは思わない」と述べたという。さらに講演後の質問に答えて「尖閣列島を、自衛隊が警戒することは夢にも考えていない」と述べ、海上保安庁による警戒と外交ルートによる話し合いを強調したと伝えている。

 沖縄国際海洋博覧の基本構想がまとまったとの記事も掲載しており「海と自然を強調」と詳説している。

 先に退陣表明した佐藤栄作首相の会見で新聞に対する「ひぼうの言動」があったとして、内閣記者会が抗議する記事も掲載している。「新聞ひぼう発言取り消さず/内閣記者会/首相に再び抗議声明」との見出しで伝えている。「ひぼうの言動」に対する記者会の抗議に対し、佐藤首相は口頭で竹下登官房長官を通して回答した内容が「文書による回答を拒否しただけでなく、記者会の要求に全く答えていない」として改めての抗議声明発表となった。別稿で記者会の声明内容と首相の口頭回答内容をともに紹介している。

 ベトナム戦争絡みでは「ハノイ北東の飛行場も爆撃/B52 の南爆も最高記録」との見出しで、米軍による爆撃攻撃が28日、主要都市の鉄道網や軍事施設など240回の北爆に加え、324回の南爆も展開している実態を伝えている。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。