「捨て石だったのかと怒り」「申し訳ない気持ち」松代大本営地下壕と32軍壕、本紙信毎アンケートで見えてきたこと


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第32軍の衛兵の掩蔽(えんぺい)壕=2月15日、那覇市首里真和志町

 琉球新報と信濃毎日新聞との合同アンケートからは、首里城地下の第32軍司令部壕と長野県の松代大本営地下壕の保存・活用を求める声が8割に上った。太平洋戦争末期、本土決戦の準備を整えるため、沖縄では持久戦がとられ、長野では松代大本営の建設が進められていた。アンケートには「(捨て石にしてもいいという)沖縄に対する差別や偏見があったのでは」といぶかる声や「沖縄の人の命が犠牲になったのは許せない」という憤りの声が寄せられた。

 うるま市の60代の女性は「本土決戦に備えるための松代大本営地下壕の建設だというが、既に敗戦は見えていたはず。沖縄県民にとっては、許し難いことだと考える」と指摘した。那覇市の営業職の30代男性は「沖縄は捨て石だったのかと、憤りを感じる。日本人としては見てくれてなかったのかと思う」と記した。「沖縄の人間ではなく『日本本土』に住んでる人間にどう思うか考えてほしい」(20代男性、建設業)という声も。

 うるま市の60代の女性は「本土決戦に備えるための松代大本営地下壕の建設だというが、既に敗戦は見えていたはず。沖縄県民にとっては、許し難いことだと考える」と指摘した。那覇市の営業職の30代男性は「沖縄は捨て石だったのかと、憤りを感じる。日本人としては見てくれてなかったのかと思う」と記した。「沖縄の人間ではなく『日本本土』に住んでる人間にどう思うか考えてほしい」(20代男性、建設業)という声も。

松代大本営地下壕の内部=6月28日、長野市(信濃毎日新聞社提供)

 長野県安曇野市の60代男性は「国民の命より天皇制・国体を守ることを最優先に敗戦の時期を考えていた大本営の象徴として、沖縄戦跡・首里城地下司令部壕などと松代地下壕は共通している」との見解を示した。また、米軍基地が今も沖縄に集中していることについて、長野市の40代会社員男性は「申し訳ない気持ち。いまだに沖縄に負担を掛けている。撤去を含めて米軍基地再編を進めてほしい」とした。

 長野県塩尻市の20代の女子大学生は「高校まで戦争や歴史について勉強していたが、(沖縄と長野の壕について)一度も聞いたことがなかった。歴史の教科書にもっと日本のことを記載すべきだ」と求めた。

(知花亜美)


用語 松代大本営地下壕

 太平洋戦争末期、長野県松代町(現長野市松代町)一帯に築かれた総延長10キロ以上ある地下壕。本土決戦を見据え、皇居や大本営、政府機関などの移転先として築かれた。1944年11月から45年8月の敗戦まで工事は続き、携わった約1万人のうち6千~7千人が朝鮮の人たちだったとされる。地下壕は現在、象山にある約500メートルが長野市により公開されている。

 

調査の方法

 アンケートは6月8日から16日まで、琉球新報社と信濃毎日新聞が合同で実施し、ウェブ回答を得た。第32軍壕と、長野県の松代大本営地下壕に関する認知度や、保存・活用の在り方など8項目について尋ねた。計1119人から回答があり、居住地の内訳は沖縄403人、長野県445人、その他271人だった。