「ずっとここに来たかった」宮森小慰霊祭に初参加の女性 園児の時に重傷、後遺症の苦しみ今なお


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初めて訪れた慰霊祭で「出席してよかった」と言葉を詰まらせる佐藤節子さん=30日午前、うるま市石川の宮森小学校(大城直也撮影)

 宮森小米軍ジェット機墜落事故の慰霊祭に初めて出席した60代後半の佐藤(旧姓・新里)節子さん=金武町=は、宮森幼稚園の年長の時に事故で大けがを負い、後遺症に苦しんできた。高校卒業後から約50年、東京で暮らしていた。「ずっとここに来たかった」という慰霊祭だった。終わった後に感想を聞かれた佐藤さんは言葉に詰まり、何度も手ぬぐいで潤んだ目をぬぐった。「出席してよかった。それだけです」と言葉を絞り出した。

 佐藤さんは、宮森幼稚園で事故にあった。今年翻訳された米国立公文書記録管理局所蔵の医療報告書には、陸軍病院による継続的な治療状況が詳述されている。報告書によると、頭蓋骨損傷などの重傷を負い、事故後は約2カ月間入院した。61年に手術を受け、62年7月の診察までが報告されている。

 報告書の中には「この患者は、石川事故で重度の頭蓋骨損傷を受けた3人の患者のうちの1人であり、沖縄の米陸軍病院で『必要に応じて』経過観察されるべきである」と記されている。ただ、治療後も頭痛などの後遺症に苦しみ続けた。

 5年前にくも膜下出血となり、失語症になった。ジェット機墜落事故に伴う手術の影響で、くも膜下出血の手術ができなかった。

 昨年11月に沖縄に移り住み、今回出席を決めたという。ゆっくりとした足取りで、事故で亡くなった児童らの名前が刻まれた「仲よし地蔵」に向かい、焼香をあげた。沖縄に帰り、幼稚園の担任だった伊波怜子さんや同級生にも会うことができた。「皆に感謝です」と柔らかい表情だった。
 (古川峻)