復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉7 月9日「B52が27機、緊迫する嘉手納基地」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年7月9日の琉球新報1面は、「緊迫する嘉手納基地周辺/B52、27機が着陸/着陸態勢で失敗 一瞬ヒヤリ」との見出しで、米空軍のB52戦略爆撃機がグアムから台風避難を理由に嘉手納基地に飛来してきたことを写真を付けて大きく取り上げている。記事では「復帰後の嘉手納基地周辺は最近にない緊迫したふん囲気に包まれている」と現場の空気を伝えている。

 そばには関連記事として「本土並みでないのが明確に/社、公、共が抗議」との見出しで、政府野党の代表者が二階堂官房長官に抗議したことを紹介している。この抗議に対し、二階堂官房長官は「(B52飛来が)定型化されることは好ましくない。外務省と相談のうえ、政府として米側に意思表明したい」と応じたことも記事中に加えている。

 さらに政府の受け止めとして「新政権に頭の痛い問題/やむを得ないとみる外務省」と見出しを掲げ、佐藤内閣として「返還後の沖縄にB52が移駐することはない」と強調してきたことを改めて紹介している。外務省当局は「沖縄にB52部隊が常駐しているとか、爆弾を積載しているのならばともかく、非武装で台風避難のためである以上、日米安保条約上の事前協議の対象にならない」と説明しているという。

 沖縄関連では「那覇―名護/高速道路を推進/海洋博関連の公共事業/県、従来の計画縮小」との見出しで、国際海洋博覧会開催に伴うインフラ整備のひとつとして道路建設の行方について沖縄県庁内部の議論をまとめている。

 このほか中央政局として、田中新内閣のスタートに伴い「党内対立さらに強化/早期解散必至の情勢」と派閥間の混乱がなかなか収まりそうにない状況を紹介している。その関連でそばには「12日メドに新派閥/親福田勢力が大同団結へ」と、自民総裁選の中で生まれた、田中角栄氏―大平正芳氏―三木武氏と、福田赳夫氏との亀裂がさらに波紋を広げている状況を伝えている。

  

 

 ◇  ◇  ◇

 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。